「果てなき路」

knockeye2012-02-04

 映画を見る観客が実際に経験するのは映像だから、映画がシナリオに奉仕するべきではない。シナリオこそ映画に奉仕すべきである。
 しかし、シナリオに従わずとも、映画それ自身の世界の破綻が許されるだろうか。具体的には、今まさに息絶えようとする浅野内匠頭の手首に、Gショックがのぞいていたり、月面に取り残された宇宙飛行士がたばこに火を付けたり。
 それが許される場合があるとしたら、それを撮影しているカメラマンや照明、録音などのスタッフが画面に入り込む場合じゃないだろうか。
 こうした‘映画中映画’という手法は、モンテ・ヘルマン監督自身も認めているとおり、とくに目新しいというわけではない。
 だが、モンテ・ヘルマン監督は、‘映画中映画’を撮るフリをして、‘映画’を撮っている気がする。私はそんな気がした。
 この‘映画中映画’は、‘映画の中の実在の未解決事件’を題材にしているために、どんどんと変更されていく‘映画中映画のシナリオ’が、実はその‘真相’に迫っているのではないかという緊張が次第に高まっていく。
 それにつれて、というより、それ以上に、‘映画中映画’の主演を務めるローレルの魅力が、あやしい輝きを増していく。
 この映画はモンテ・ヘルマン監督21年ぶりの新作映画だ。どんな寡作の映画監督にしても21年はさすがに長すぎるのではないか。
 彼を伝説の映画監督にした映画は「断絶」という。パンフレットから引用すると

ニューシネマの伝説的な作品としてアメリカ映画史に燦然と名を残す「断絶」(71年)。クエンティン・タランティーノヴィンセント・ギャロをはじめとする多くの映画人たちに強烈な影響を与えつつも、一方で興行的な不振のために彼はその後、映画作りそのものとの苦闘を余儀なくされることにな

ったのだそうだ。
 「果てなき路」と「断絶」とのつながりについては

本作のエンドクレジットには「for laurie」の文字が刻まれている。これは「断絶」でガール役を演じたローリー・バードのこと。
(略)
ローリー・バードは26歳の若さで自殺。ヘルマンは「断絶」の興行的惨敗により、その後メジャー会社での映画制作ができなくなってしまう。

 「断絶」と「果てなく路」に共通するものがあるかとの質問に対するヘルマン監督の答え。

・・・理由は何であれ、ヒーローは女性が求めるつながりを満たすほど充分な愛でコミュニケーションすることができない・・・

 というわけで、下世話な観客にすぎない私としては、この映画は、‘映画中映画’よりも、‘映画中映画監督’と‘映画中映画女優’の物語としてみてしまうわけ。
 ちなみに‘映画中映画’の監督の名前は‘ヘイヴン’。映画の脚本家はスティーヴン・ゲイドス、‘映画中映画’の脚本家は‘スティーヴ・ゲイツ’。
 ヘルマン監督は、脚本家ゲイドスについてこう書いている。

 私たちはすばらしい友人であり、このストーリーは悲惨な人生を歩んだふたりから生まれたものだとわかる。
 だから私は、これほどまでに「映画」についての映画を私たちが作ってしまったこと、そしてそれが、ほかでもない私たちの個人的な人生と経験に基づいたものであることを皮肉に思う。

 ローレルを演じたシャニン・ソサモンが美しい。女性に限ったことではないが、美しいときがそんなに長くはないと知ってはいるけれど。


 「断絶」のニュープリント版も、シアター・イメージフォーラムで上映中。