「灼熱の魂」 ネタバレ有り

knockeye2012-02-05

 「アニマル・キングダム」を観た日比谷シャンテで「灼熱の魂」。
 シャンテはたぶんTOHOのお膝元だと思うのだけれど(それとも違うのかな?むかし、みうらじゅんが盗んだゴジラが立っているけど)、ほかにも「ウインターズ・ボーン」、「BIUTIFUL」とか、いい映画はシャンテで単館上映して、地方にまわさないのは何故なんだろう。こんなことでは映画格差が広がって、健全な中間観客層が育たないと思うが。
 それはそうと、ネタバレ書くんだった。
















 「灼熱の魂」の元ネタは舞台だそうだ。
 なので、実のところ、政治的、宗教的なテーマはない。事実、国名さえ明らかにされない。もっとも、原作者はレバノンの人だそうだ。
 それで、全く架空の物語としてこの映画を観ると、ちょっと予定調和的であるように感じた。
 ナワル・マルワンの手紙はまるで、デウス・エクス・マキナのよう。ああいう形で悲劇を回避し、カタルシスを避けなくてもよかったのではないか。
 現代のエディプスもまた、自ら両目を潰して、砂漠にさまよい出るべきではなかったかと思う。 
(ここからは、翌日に書き足した分。ネタバレ対策したわりには、奥歯にもののはさまったような書き方をしてしまったので。
 だって、ナワル・マルワンとアブ・タレクは、カナダのプールサイドで再会するんだよね。
 戦場で行方を見失った息子に、そんな平和な場所で再会、しかも、相手は、囚人だったころの自分には気がつかなかった、となれば、どういうのが自然な振る舞いだろうか?
 ストーリーのために発端が不自然になっている。
 思うに、
 ナワルは何も知らずに死に、双子に兄を捜してほしいと遺言する

 双子は、兄を捜す過程で自分たちの出生の秘密を知る、そして、兄を捜し出すが、その兄が自分たちの父だとは気がつかない

アブ・タレクは、双子たちに再会して、歌う女が彼の母だと知り、双子たちが彼の子らだと知る。こうして、アブ・タレクだけがすべてを知るのが自然な気がするけど、どんなものなのだろうか?)