お盆になると実家に帰って両親と美術館に行く。いつのまにか習慣になった。
今年は兵庫県立美術館で開かれているカミーユ・ピサロ展。
この美術館は、阪神淡路大震災のあと、いまの場所に移転する前、阪急王子公園駅がまだ西灘といっていたころに、よく訪ねていた。
カミーユ・ピサロの展覧会もそんな若い頃に観た記憶がある。前回の大規模な展覧会は1984年だそうだから、おそらくそのときの京都の展覧会を訪ねたのだろう。その年はたしかに京都に住んでいた。
ピサロの絵にはそれから何度も出会ったけれど、感想は変わらない。ごく初期の頃の絵がよく、あとにいくほどいけなくなる。
とくに、スーラ、シニャックの点描にとりつかれたあたりはどん底で、それはさすがに本人も自覚があるらしく、後には点描について批判的に語っている。
今回の展示作品のなかでも<エルミタージュの眺め、グラット=コックの丘、ポントワーズ>が断然よい。
これを描ける人が、どうしてタッチを分割する必要があったのか。
そんなわけで、ピサロの展覧会を観ていると、いろんな思いが浮かんで消える。
モネと印象派のインパクトを想像したり、マネが印象派とのあいだに置いていた絶妙な距離感とか、印象派のなかにいてずっとおなじような絵を描いていたシスラーのこととか。
ピサロはまたポール・ゴーギャンを絵の道に導いた人でもあるらしい。ゴーギャンが長く所蔵していたピサロの絵も展示されていた。
陽炎のたつ埃っぽい坂道を二人の人がすれ違おうとしている。タッチが細かくなっている頃の絵だが、これはよいと思った。
奈良がライトアップされているというので出掛けたが、ものすごい雨で早々に引き上げた。