今週の週刊文春からは、きのうの小林信彦だけでなく、ぜひとも紹介しておきたいことがいくつかあった。ほんとは、発売日の木曜あたりに書ければよかったのだけれど、わたしだって仕事があるんだし、腰痛ひどいし。
宮崎哲弥の連載が30回を超えててこれは時々面白い。尖閣諸島をめぐる最近の中国の動きに関して書いているのだが、そのなかで引用されているマイケル・ウォルツァーというひとの
武力に及ばない政治は戦争に及ばない武力に依存している
という言葉、以下の本にあるそうだが、これはたしかに国際政治を考える時、支えに出来る言葉だと思った。だからといってすぐに妙案がうかぶというわけではないけれど。
- 作者: マイケル・ウォルツァー
- 出版社/メーカー: 風行社
- 発売日: 2008/11/01
- メディア: 単行本
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「敗戦国が戦勝国の領土を占領するなど、もってのほか」
という発言について解説している。
この発言の‘敗戦国’はもちろん第二次世界大戦に敗北した日本のことだが、‘戦勝国’はたんに中国をさしていない。というのは、第二次世界大戦の戦勝国とはアメリカ、イギリス、ソ連など、中国を含む‘連合国(United Nations)’だからだ。
蒙を啓かれたのは、国際連合と日本人が呼びならわしている‘United Nations’は、まぎれもなく連合国そのものなのだが、日本が加盟するに際して、当時の外務省が‘国際連合’と訳し直したという。
池上彰によると
このため、日本国内では、まったく別の組織であるかのような誤解が生まれました。外務省による意図的な誤訳といっていいでしょう。
ということだ。
日本はいまでも‘United Nations’にとって‘旧敵国’なので、旧敵国条項によって、その侵略行為に対しては、戦勝国である中国は、安全保障理事会の許可なく軍事制裁できる立場にある。
さきの宮崎哲弥の連載に戻ると、
・・・中国は国際紛争を有利に展開するための定石に則ってゲームを進めてきている。常軌を逸しているのは日本だ。
と書いている意味がすごくよくわかる。
もちろん、だからといって中国がすぐに軍事行動に移るということではないし、国際社会がそれを容認するはずもない。戦後、世界は東西両陣営に分かれて長い冷戦を戦ってきたのであり、そのさい、日本は自由主義の陣営にあって一定の役割を果たしたはずである。
だから、上のような中国外務省のコメントも西側の諸国には苦笑ものなわけだが、ところが、何を血迷ったか、東京維新の会という東京都議会の会派が、現憲法を廃して大日本帝国憲法の復活を求める請願に、今月4日の都議会で賛成していたそうである。
こうしたことが世界の良識の目にどう写るか、くだんの維新の会の連中が一瞬でも考えたとは思えない。
くわしいことはしらないが、大日本帝国憲法は統帥権の定義に欠陥があり、それが軍官僚の暴走を許したと聞いたことがある。
ともかく、尖閣諸島をめぐってちょっと揺さぶられただけなのに、日本の政治家のこの対応はどうだろう。こういう対応を第三者としてみてみるといい。東京維新の会の行動は、先の中国外務省報道局長の声明に、じつに良いタイミングのアシストをしていることがわかるはずだ。
小泉純一郎の政務秘書官だった飯島勲も週刊文春に連載をもっているが、それによると、橋下徹の人気はここにきて‘がた落ち’だそうだ。
これはしかしわざわざ飯島勲にいわれるまでもない。
もともと地方分権をめざし、政治は市民に対するサービス業と位置づけていたはずの橋下徹なのに、国歌斉唱を強要した時点で、回れ右をしたと思う。すくなくとも‘国歌斉唱’、‘国家元首’という発想そのものが中央集権的であるについては、だれも異論がないはずだ。地方分権的でありながら同時に中央集権的であることはできない。つまりこの時点で橋下徹の脳みそは爆発していた。
もっとも印象的なのは、関西電力の株主総会。東京電力の株主総会で勝俣会長に‘潔く身を引け’と勧告した猪瀬直樹に対して、橋下徹はろくな質問も出来ず、事後の記者会見でパフォーマンスを繰り広げただけだった。わたし個人としては、あの時点で橋下徹に対する興味は消え失せた。
残念なのは、竹中平蔵と堺屋太一についてだ。このふたりの見識についてはかねてから一目をおいてきた。だが参謀はあくまで参謀、軍師はあくまでも軍師。諸葛孔明がいかに優秀でも自ら主君にはなれない。残された時間を思えば、若いリーダーの出現を願う気持はよくわかる。しかし、わたしには見込み違いであったように見える。
市民に奉仕する気持に立ち返れば、出来る仕事はあるかもしれない。しかし今の橋下徹は権力欲にとりつかれているようにしか見えない。