「格差社会」なんてウソだとずっと言い続けている。
格差はすべての社会にある。したがって「格差社会」なんていう特別の社会があるはずがない。それに、日本国内の格差なんて、日本と世界の格差に比べたら、ないも同然で、決定的な欺瞞は、これまで貧しかった国が経済的に発展し、相対的に先進国が貧しくなるという、世界全体での格差解消の結果をさして、「日本が格差社会になった」といっていることで、そういう「自分たちさえよければいい」という発想だから、「格差社会」なんて造語をつくって理論武装しなければならなくなるのだと思う。
もうひとつは、日本が「格差社会」になったというけれど、その前はどうだったんだという点について、お茶を濁している。それ以前の日本社会はユートピアだったとでも?。いうまでもなく、それ以前の日本は、高度経済成長に続くバブル崩壊と長期不況だった。高度経済成長の果実を次世代へと引き継ぐことを当時の政治家が考えたか?。当時の政治家といえば田中角栄だが、彼の政治は、次世代の果実を前借りして、無計画な国土開発にばらまくことだった。そのつけをいま払わされている。それだけのことである。何が「格差社会」だ。
と、いまさらこういうことを蒸し返したのは、今週の週刊文春に、資産家夫婦を殺害した富山県警の警部補が、編集部に送った手記が全文公開されていて、そこにこうあった。
人を二人も殺めてしまったことに弁解の余地がないことは十分判っておりますが、格差社会の歪みにはまり、憎悪を増幅させてしまったいきさつについて手記として書き記したいと思います。
「格差社会」などというマスコミの造語が、殺人のいいわけに使われている。しかし、考えてみれば、「格差社会」ということばは、そもそも、いいわけのために造語されたのかも知れない。
私の生活は困窮しております。私のやり遂げなければならないことにもお金がかかります。ですから、まことに申し訳ないのですが、お買い上げいただくという形をとらせてもらえないでしょうか。
「格差社会」のせいで人を殺して、その手記で金をせびっている。
貴誌のモラルに反するということで、お買い上げできないことも想定して、これと同じものを、週刊現代さんとポストさんにも送らさせていただきました。
そのうえ、ブラフをかまして値をつり上げようとしている(ポスト、現代には送られていないそうだ)。
「格差社会」の正体って、こういうことじゃない?
真実は別のところにある。でも、それを隠して、なにか言い訳を考え出さなきゃならない。そういう人間にとってだけ意味のある言葉だと思う。