- 作者: ウラジーミルナボコフ,野島秀勝
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/01/09
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まことに奇妙なことだが、ひとは書物を読むことはできない、ただ再読することができるだけだ。良き読者、一流の読者、積極的で創造的な読者は再読者なのである。
という、たぶん有名な言葉は「良き読者と良き作家」というエッセーのなかにあった。
またこうも書いている。
文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年がすぐうしろを一匹の大きな灰色の狼に追われて、ネアンデルタールの谷間から飛び出してきた日に生まれたのではない。文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年が走ってきたが、そのうしろには狼なんかいなかったという、その日に生まれたのである。
文学の社会学的ないし政治学的影響に関する研究というのは、主に気質のせいか教育のゆえか、文学の美的戦慄に無縁な人々のために、あの肩甲骨のあいだでそっと秘密を告げる慄きを感じられない人々のために、どうしても発明されなければならなかったものである。(わたしは何度でも繰り返す。本を背筋で読まないなら、読書なんかまったくの徒労だと)。
燃えている家にとびこんでゆき、隣人の子供を助ける英雄に、わたしは脱帽する。が、彼が貴重な五分間をさいて、その子といっしょにその子の大好きな玩具を見つけて救い出そうと危険を冒したなら、わたしは彼に握手を求める。わたしは煙突掃除夫が高い建物の屋根から落ち、落ちてゆく途中、看板の文字が一語綴りが違っているのに気づいて、まっさかさまに落ちながら、どうして今まで誰も綴りの間違いを直そうと思わなかったんだろうと不思議に思う、そんな男を描いた漫画を憶えている。ある意味では、われわれは誰しも生まれついた高い階上から墓場の平たい敷石のうえに墜落して死んでゆく身の道すがら、不死身の「不思議の国のアリス」といっしょに、眼前を擦過してゆく壁の模様を不思議な目で見つめているようなものだ。ささいなことを不思議に思う、この能力 − 危険がいかにさし迫っていようともおかまいなしの − これらの精神の傍科白、人生という本のこれらの脚注、これこそ意識の最高の形式であり、われわれが世界はいいものだと納得するのは、まさに常識やその倫理とかくも違ったこの子供のような心の純な状態においてなのである。
取り上げられている作品は
ジェイン・オースティン『マンスフィールド荘園』
チャールズ・ディケンズ『荒涼館』
ギュスターヴ・フロベール『ボヴァリー夫人』
ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」
マルセル・プルースト『スワンの家の方へ』
フランツ・カフカ『変身』
ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』
『ボヴァリー夫人』と『ユリシーズ』のテッテー的な読み込み方はすごい。ジョン・アップダイクが序文を寄せているが、学生としてこの授業を聴講していたアップダイク夫人は、高熱を押して出席して、医務室に運び込まれたことがあるそうだ。