川田文子と従軍慰安婦

knockeye2013-05-21

 このところ、仕事、引っ越しの片付け、仕事、引っ越しの片付け、という日々で、それ以外何もしていない。そんなわけで、今日も従軍慰安婦のおうわさ。
 今日発売のニューズウィーク日本語版に、ロバート・E・ケリーという釜山大学准教授の投稿があって、

 アメリカという「保険」があるからこそ、日韓はいつまでもいがみ合う「贅沢」を続けていられる。
(略)
 世論の注目と支持を集めたい愛国主義的な政治家が何を言おうと、そんなマイナーな問題を議論するのは、時間と資源の無駄遣い

 と書いている。国際的な感覚を持つ日韓の多くの政治家や知識人が両国関係の重要性を認識している、にもかかわらず、歴史教育のレトリック、そして、それをあおりたてるメデイアが亀裂を広げている。

 さらに、「民族の血」を国家的アイデンティティーの中核に据えるような歴史教育も問題をこじれさせている。大和民族韓民族といった民族の血を強調するなら(略)こうした考え方は非常に不健全だ。ヨーロッパが2つの世界大戦に突入したのも、1つにはこうしたイデオロギー的や極論が幅を利かせたからだ。

 わたしとしてこれを一言で要約させてもらうと、愛国者などというものはあほうなのである。愛するならもっとまともなものを愛せ。
 それで、今般、世間を賑わわせている‘従軍慰安婦’の問題だが、そもそも、悲惨なのは戦争それ自体であって、‘従軍慰安婦’の悲惨はその一小部分にすぎない。兵士に抱かれた慰安婦も悲惨だが、慰安婦を抱いた兵士も悲惨なのだ。
 それを、‘従軍慰安婦’という‘部分’だけが、あなたにとって、とりわけ、悲惨に感じられるとしたら、それは、あなたが戦争の悲惨さをもう感じられないほど平和に浸りきっているからにすぎない。
 たとえば、こないだ橋下徹を非難していた「日本の戦争責任資料センター」共同代表で「戦争と女性の人権博物館」呼び掛け人の川田文子という人にしたところで、1943年生まれで、ずいぶんお歳ではあるが、戦争なんて知らないのである。そして、むしろ全共闘世代である。わたしの知るかぎり、日本史上もっとも平和ボケした世代である。
 つまり、この人がかかわっている問題は、戦争の問題のような顔をしているが、実は、戦争問題に別の問題を仮託しているにすぎない。ぶっちゃけ、問題のすり替えである。と、すくなくともわたしには見えるが、どうですか?。
 橋下徹の今回の発言を非難した女性団体から
「女性は好きこのんで風俗で働いているわけではない」
みたいな(詳細は忘れたが)発言があったと思う。しかし、それをいうなら、わたしだって、好きこのんで今の仕事をしているわけではない。世の中のほとんどの人がそうだろう。たぶん、この発言をした女性運動の人は、‘好きこのんで’その運動をしているのだろう。そして、風俗で働いている女性を見下している。
 女性の人権云々いっているけれど、こういうときにほとんど条件反射みたいに発動するこの手の意見表明は、じつは、そうした女性同士のヒエラルキー確認にすぎないとわたしには見える。
 そうたしかに、好きこのんで風俗で働いている人はいないだろう。でも、世界屈指の経済大国であっても売春はなくならない。某書には「世界で最も古い職業」という言葉もある。人権意識の高い国々は、むしろ売春を正式に職業として認定している。
 そう考えると、売春は貧困とも人権とも何の関係もない。売春を否定的にとらえるのは、むしろ、成功した女性たちのエリート意識にすぎないようにわたしは思う。