朝日新聞と慰安婦問題

knockeye2014-02-13

 慰安婦について、ふたたびここに書くわけだが、冷静に考えて欲しいのだが、当時、慰安婦という制度があったということと、日本で朝鮮人が差別されていたことは、ともに事実であるが、それぞれ全く別個の事実で、そのふたつに本来つながりはない。
 現在、このふたつを結びつけている「強制連行」については、今にいたっても、何の証拠もない、そのかぎりにおいいて、「従軍慰安婦」は、現状ただのフィクションにすぎない。そうしたフィクションにまで謝罪するのは、国際的なルールとかを持ち出すまでもなく、フツーに異常なのは誰でもわかるはずだ。
 河野談話はそのへんを全く曖昧なままに謝罪した。はっきりいえば、何を謝罪しているのかよくわからない。その曖昧さを、今、韓国に利用されている。
 橋下徹がこれについて発言した当初は、つまりそのことを言っていた。ところが、朝日新聞が、それに先立つ、部落差別記事の遺恨から、これをスキャンダラスに取り上げたことが、現状の混迷につながっている。
 「慰安婦が必要だ」と発言したことがけしからんことにされたのだが、当時の軍部が「慰安婦が必要だ」と判断したからこそ、そこに慰安所がもうけられたのだから、事実を言っただけなのである。
 肝心なのは、その慰安所で働いていた慰安婦の人権状況であって、そこで働いていた個々の人たち、日本人も朝鮮人もいただろうが、その人たちに日本政府が責任を負うとしても、強制連行がなかったのであれば、その責任のありかは、当時の日本にあった「公娼制度」が人権を侵害していたことにあるのであって、戦争との関係はほとんどないし、日韓関係とは何の関係もなくなる。
 戦場に娼窟をしつらえたのは、ドイツと日本だけだとしても、平時だからOKで、戦時下ではNGということにはならない。ここまで背景を説明した上ではじめて「どの国でもやっていること」といえる。
 改めていうまでもないが、わたしはそんな公娼制度が「よかった」とか「評価できる」とか言っているのではない。そうではなくて、なぜそれについて、日本が韓国に謝罪する意味があるのかは、まったくわけがわからない、ということだ。
 70年前、戦時下の日本の公娼制度がいかに人権を侵害していたとしても、それが、現在、同盟国である日韓の、首脳会談さえ拒否する根拠にされるのはどういうことなのか?。これが単に韓国のプロパガンダにすぎないことが容易にわかる。プロパガンダでなければ、ほとんど「幻覚」である。
 週刊文春2月6日号に‘怒りの総特集 韓国の「暗部」を撃て!’というのがあって、週刊文春も、橋下徹慰安婦発言をしたときは、大新聞の尻馬に乗って、バッシング記事を書いていたくせに、この節操のない豹変ぶりには、さすがに鼻じらむが、
「‘慰安婦捏造’朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」
という記事は、今までわたしが知らなかった事実が書かれていたのでここに記しておきたい。
 記事によると、「従軍慰安婦」問題を最初に書いたのは、1991年8月11日の朝日新聞の大阪本社版に、植村隆というひとが書いた記事で、
「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかった」
というものだった。
 この記事をきっかけに、朝日新聞慰安婦問題を次々ととりあげ、「済州島から慰安婦を拉致して、戦場に送り込んだ」という元陸軍軍人の証言を根拠に「日本軍による強制連行があった」という主張を展開していった。
 はっきりいって、この朝日新聞のキャンペーンが、現在、世界中で信じられている「従軍慰安婦」のイメージを決定している。
 ところが、その後の西岡力東京基督教大学教授の調査によると、そもそもの植村記者の記事に書かれている女性は、
「親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。」
 植村記者はその部分を意図的に隠した。
 また、朝日新聞が強制連行の根拠とした元軍人の証言も、現代史家の秦郁彦氏の調査で虚偽であることが明らかにされている。
 朝日新聞若宮啓文主筆は、これについて自著のなかで、
「元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあった」
と書いているそうだ。
 元慰安婦の人が1990年代になって名乗り出たことがどうにも解せずにいたのだが、この朝日新聞のキャンペーンがこれを誘発したと考えてよいのだろう。
 週刊文春の記事は、これを捏造と断じているが、そもそもなぜこのような捏造を書くのかについては、先日読んだ、半藤一利保阪正康の対談集『そして、メディアは日本を戦争に導いた』を読むと、何となく納得できる。
 朝日新聞は自社の七〇年史に
「昭和六年以前と以後の朝日新聞には木に竹をついだような矛盾を感じるであろうが」
云々と書いているけれど、それだけではなくて、戦争が終わったときにも、昨日までの軍国主義から民主主義へと、一夜にして手のひらを返したのであって、その態度は、一貫性がない、というよりも、大衆迎合で一貫している、というべきだろう。
 戦争中は「大日本帝国万歳」と書いておけばウケる、敗戦後は、「軍部はひどい」と書いておけばウケる。そうした大衆迎合から、「従軍慰安婦」というフィクションが生み出され、もてあそばれることになった。そこに、報道の理念などといったものがあるだろうか。
 戦時下、軍国主義の走狗であったこれらの報道機関、とくに新聞に関わった人たちが、何の責任も問われず、戦後ものうのうとジャーナリズムを標榜していられたのはどうしてなのか、理解に苦しむ。こうした無責任な報道機関の戦争責任を、不問に付したことこそ、戦後日本の最大の汚点であることは間違いなさそうに思う。