結局、何がウソなのか? 

knockeye2014-02-22

 先日、法華狼さんとコメントのやりとりをして、結局、慰安婦問題の核心は何なのか、について、自分なりに少し気がついたことがあった。
 つまり、すべての議論は「強制連行」に収斂する。
 法華狼さんは、「強制連行はなくても、慰安婦の人たちが人権を踏みにじられていたことには違いがない」という。確かに、その論自体は正しい。
 しかし、振り返ってみて、そもそもの「従軍慰安婦問題」とは何だったのかと思い出してみると、この問題を耳にし始めた当初、その「従軍慰安婦問題」というのは、旧日本軍の兵隊が、戦時下の民家に銃剣を手に踏み込んできて、連れ去った少女を監禁して売春を強要した、というイメージだった。
 それは、おまえが勝手に思い込んだだけだと言える人がどれくらいいるだろうか?。世間一般の人たちも「従軍慰安婦問題」というと、そういうイメージでとらえていたと思うし、そしてそれは、朝日新聞が流布したイメージだと思うけど、ちがうだろうか。
 いまになって、「連行は強制でなくても・・・」みたいなこといわれても、それは、話が違う。結局、「強制連行」については、河野談話も認めていないし、朝日新聞が報道した、元軍人の証言も虚偽だった。
 そしたら、それを一言で言えば、「従軍慰安婦問題」はウソだった、ということになるんじゃないのか?。朝日新聞の当初報道していた「強制連行」が、実はウソだったというなら、「じゃ、ウソじゃねぇか」って思ってどこが間違ってるの?。この虚偽報道について謝らなきゃいけないのは、朝日新聞の方じゃないのか?。こっちは、ウソに「ウソかよ!?」とつっこんでるだけのこと。右翼だの右傾化だのは、まったくおかどちがいだ。
 「強制連行」はなかったけど、慰安婦の実態は悲惨だったんだから、ちょっとウソついちゃったけどいいじゃんって、それ、まともな報道機関のとるべき態度か?。
 結局のところ、虚偽証言を記事にしたことについて、朝日新聞が言いのがれしているうちに、そこに韓国の元慰安婦が乗っかってしまって(と言うのも、彼女ら自身は、自分をそういう境遇に陥れた張本人は誰だったか知るすべはないのだから、「軍人による強制だった」といわれて疑う理由もない)、朝日新聞も、元慰安婦も引くに引けなくなったのが実態であるように見える。
 橋下徹が元慰安婦の方に面会するというとき、「ほんとに強制連行されたんですか?と聞きたい」といっていたのだ。私は、元慰安婦の方がドタキャンしたのは、そこに確信がなかったからだ(それで当然なんだし)と推測している。もとより、これは全くの推測にすぎない。
 いかに旧日本軍の実態が非道だったからといっても、でっち上げの糾弾が許されるわけがない。ましてや、虚偽報道のいい訳にはまったくならない。
 戦時下では、朝日新聞自身が戦意高揚に進んでご協力申し上げていた、「紙の弾丸」と自称していた、そのデマゴーグの体質がまったく変わってないことを問題にしたい(社旗は旭日旗じゃねえか)。
 結局のところ、「従軍慰安婦問題」とは何かといえば、かつては旧日本軍と結託していたくせに、自分だけ正義の味方づらした朝日新聞が、虚偽報道を謝罪する代わりに、韓国の国粋主義者を煽り立てたあげくが、抜き差しならない泥沼になったということにすぎない。
 そう考えると、今、菅幹事長が進めている、河野談話の再検証について、朝日新聞がなぜ沈黙を守っているのか、わかりやすい。「河野談話の再検証」とは、すなわち、「朝日新聞の捏造記事の検証」にほかならないからだ。
 「従軍慰安婦」というフィクションではなく、ほんとの慰安婦問題は、そのために置き去りにされたと言っていいと思う。朝日新聞は、慰安婦問題をもてあそんだのだ。
 日本のリベラルはなぜ嫌われるか、とかいう記事がどこかにあったけれど、それは彼らが、朝日新聞の尻馬に乗っているだけのことを「リベラルだ」などとのたまっているからだと私は思う。