谷文晁 補遺

knockeye2013-08-05

 谷文晁について書きながら、様々な符合が心に浮かんで、そんな思いつきにのっかって、そのまま脱線していくべきか迷った。
 それは例えば松平定信のことなのだけれど、この人は八代将軍吉宗の孫。わたしたちの国で今政治を司っているのもまた、およそ70年前、戦中戦後の時期にこの国を率いていた官僚たちの孫。そして松平定信の70年後に徳川は滅んだ。まもなく戦後70年という今、この数字には奇妙な生々しさがある。まるで今わたしたちがこれまでの70年とこれからの70年の分岐点に立っていて、選択を迫られているかのよう。
 国の借金が1000兆円を超えたという。今にして思えば、バブル崩壊のあと、まともに財政規律を維持していたのは、小泉政権だけだった。それは、経済財政諮問会議が機能していたから。小泉構造改革を、格差社会だの、新自由主義だのと言って批判した結果が、この国に何をもたらしたか?。財政を総合的に制御する意思を喪失しただけではなかったか?。
 消費税率をあげるかどうかの議論がまた交わされているが、しかし、たとえ消費税率を3%あげたところで、税収が3%すらあがりはしないのは間違いない。国際社会の信頼を得るために必要なことは、財政の主体が官僚ではなく政治の側にあることを証明することのはずだろう。
 安倍晋三と、いまの経済財政諮問会議にそれができているか?。IMFが何を言おうが、わたしたちの国が抱えている宿痾は、官僚主義だという事実から目をそらされてはいけない。
 日本のマスコミが大々的に取り上げることといったら、麻生太郎が「ナチスに学べ」と言ったとか言わないとかの失言報道ばかり。
 このブログでも、産経新聞にあった、その発言の要約とやらを紹介したが、よく考えれば、産経は右よりなわけだから、その後、朝日、読売の同様な記事も読んでみた。それは要約していない記事なので、産経の要約記事よりさらにぐにゃぐにゃなんだが、わたしが読んだかぎりでは、要するに、「静かにやろうや」といっているにすぎない。新聞記事にするほどの内容とも思えない。
 百歩か千歩ゆずって「ナチスに学べ」というのが‘主旨’であったとしても、ナチスに学んで‘何をする’という具体的な政策の言及がないわけだから、先回りして批判するのは気を回しすぎだろう。
 「英国王のスピーチ」にもヒットラーが出てくる。コリン・ファース演じるジョージ6世は、ヒットラーを「演説がうまい」と評する。ヒットラーを誉めているのだが、だからといって、あの映画を‘ナチス礼賛’だと非難する人がいただろうか。
 橋下徹慰安婦報道も今回も、本来主旨ではないことを主旨だと報道し、それが中国や韓国のプロパガンダに都合よく利用され、そして、一部の幼稚な連中が繰り広げているヘイトスピーチはネットを通じて世界へ発信されると言った状況が、世界が日本に向ける目にどのような影響をおよぼしているかについて、理解できないとしたらそれこそアホである。今回の麻生報道について、ユダヤ人の団体から抗議を受けることになるのは、日本についてのある認識が世界で共有され始めているからこそだと考えていい。
 今月の文藝春秋一水会鈴木邦男が「ヘイトスピーチは“保守”の恥」という投稿を寄せている。外国の特派員たちから、日本人もあまり知られていないようなヘイトスピーチの実態について質問を受けることがあるそうだ。フジヤマ・ゲイシャに代わって、セックス・スレイブ、ヘイト・スピーチが日本のパブリックイメージになりつつある事態に気づくべきだ。
 その事態を中国や韓国がプロパガンダに利用するのはむしろ当然だが、注意しなければならないのは、日本の官僚もまたこの事態を利用しているだろうことである。
 中国で反日デモが起こるたびに、あれは内政への不満を外交へと転嫁させているという批評がかならず出されるが、官僚の常套手段などというものは日本も中国も同じということだ。
 慰安婦の問題にしても、勘違いしてもらっては困るのは、当時の日本人に韓国人やその他の外国人にたいして差別がなかったというようなことは断じてない。その頃の日本には差別があった。だからこそ、そのころの財閥、軍、政治家は何らかのかたちで断罪されたのだが、どういうわけか、官僚組織だけはその頃のまま手つかずで残った。彼らとわたしたちというとき、その境界線は国境とは限らないことに注意すべきだ。何千何万という日本人を死に追いやったのは日本の官僚ではないか。ヘイトスピーチの連中が、なぜ敢えて彼らの側につこうとするのかわたしにはまったく分からない。