このところ朝晩が涼しくなって,睡眠時間がのびがち。結果として,書こうと思ったことを書き漏らす、だけでなく、何を書き漏らしたかも忘れる日々なのだけれど、きのう、おととい、キリスト教とキノコ雲について書いたおかげで、たぶん、先月の週刊文春に,池澤夏樹が紹介していた、
『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』

- 作者: 高瀬毅
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/07/10
- メディア: 文庫
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広島には原爆ドームがありますわな。それに、2011年の大震災のあとにも「ヒロシマからフクシマへ」みたいなことで、「ヒロシマ」は世界に通用する一般名詞みたいになっている。だけど、長崎は?。原爆はもう一個おとしたでしょ。忘れたの?
わたくし、幼稚園のころ長崎の諫早というところに住まいしておりましたので、訪ねたこともあるのですが、長崎の被爆地跡には何があるのかともうしますと、なんかデブが一人すわってるんですな(北村西望が作った平和祈念像なんだそうです、この記事で初めて知った)。
あそこにはほんとは何があったの?というと、これも、よく考えりゃ知ってたんですけど、浦上天主堂、カトリックの教会があったんです。


下のは焼けただれたマリヤ像ですけどね、これをどうして、原爆ドームみたく保存しなかったのかですけど、聞きたい?
ジャップども、焼き殺してやったぜと思って上陸してみたら、目玉が溶け落ちたマリヤ像。その目が最後に見た光景はどんなだったでしょうね。
もし、敬虔なキリスト教徒ならこう思ったでしょう、神は見ていた。そして、その溶けた目が見たものはすでにキリストの額に刻まれたのだとね。
だけど、関係者一同、とくに信仰に篤い人もいなかったようで、当時の市長にちょちょいっと鼻薬かがせて、どがぢゃがにしたみたいです。
そこに何もないということが、あるいは、デブだけがすわっているということが、日米関係というものを、しかし、的確に表現しているのかもしれませぬ。