東京都現代美術館に「吉岡徳仁 クリスタライズ」と「うさぎスマッシュ」という二つの展覧会を観に行った。
吉岡徳仁その人はきらいじゃないけれど(森美術館で観たことがある)、この展覧会自体には、挑発を感じなかった。
むしろ、スワロフスキーとかカルティエとかイッセー三宅とかとやっている‘貧乏人は相手にしねぇ’感じの仕事の方がいきおいがある。
美術館になると美術館なりに演出しちゃうというか、美術館なんかどう演出したって美術館なのに、それなりにきまじめにお仕事する感じが、‘なんかちがぁう’って。
おもしろいのは、カルティエやスワロフスキーはケレンミたっぷりに演出できるのに、自己演出には抵抗があるっていう感じ。
「カルティエ!」とか、「スワロフスキー!」という感じに比べると、「吉岡徳仁!!」みたいな感じは出さないのね。ちょっとおくゆかしく。
美術館の外で成功している芸術家は、内心、美術館の仕事に魅力を感じないんじゃないかと思う。そりゃ美術館の外の仕事の方が断然スリリングに決まってる。動いている金が違うし、真剣勝負だし。
だから逆に、美術館での個展ならもっとはじけてもよかったと思うけど、ちょっと戸惑いとためらいを感じた。
同じ美術館で同時開催されている「うさぎスマッシュ」という、タイトルは相変わらず何のことやらわからないんだけど、内容はけっこうおもしろくて、とくに、ジュディ・ウェルゼインていう人の「飛ぶスニーカー」っていうのが、中国かどこかの安い労働力を使って、1000足のスニーカーを作ります、そして、その半分の500足をアメリカとメキシコの国境あたりで、不法入国してくる移民たちに、ただで配ります、そして、残りの500足をアメリカのセレクトショップで売る。
そのスニーカーを展示して、そのプロジェクトを報道するテレビ番組を横で流してました。
そのスニーカーを見て、ちょっといいなって思う自分がいるわけ。すっとぼけたオヤジの顔がかかとのとこについてて、インソールは地図になってて、靴ひもにコンパスがついてる、本格的な不法移民仕様。
マジで、スニーカーを買いに行った店にこれがおいてたら、ちょっとそそられると思う。その物欲はまぎれもなくホンモノなんだけど、それが何に由来しているのかっていったら、不法移民仕様っていうそのストーリー性なら、そしたら、その物欲の構造は、井戸の茶碗とかに惹かれる構造とどう違うのかってこと。
ただ中国の工場で作ったスニーカーに、ストーリー性をまぶすそのあざやかさにちょっとうなった。