『愛国者の憂鬱』

knockeye2014-03-16

 この日、特筆すべき出来事は、なんといっても、在特会のデモを圧倒した、反差別デモ‘TOKYO ANTIFA HUMAN WALL’。ツイッターの情報だと、在特会が100人〜200人程度だったのに対して、カウンターデモに参加した人数は500人以上、沿道の歩行者も参加してどんどん膨らんでいったようだ。 
 新聞とかでは全然報道しないようなのだけれど、結局、マスコミの報道しないところで行われている、こういう出来事を知ることができるだけでも、やっぱり、SNSの存在意義は大きいんだと思う。マスコミが何を‘報道しないか’を知ることで、彼らの‘報道’について、私たちはそれまでより広く知り、深く考えることができるようになった。
 ヘイトスピーチを、法で取り締まるべきかどうかについて、議論はあるのだろうけれど、法で取り締まるにせよ、しないにせよ、自分たちの隣人や社会を守るのは、ひとりひとりのちいさな勇気でしかないのだし、誰も聞いていないにせよ、イエスかノーかを表明していくことでしか、民主主義は守れないのだと思う。
 今日のカウンターデモのことは、有田芳生ツイッターで知っていたのだけれど、気後れして出かけなかった勇気のなさと怠慢については、ちょっと恥ずかしく思った。
 ま、しかし、どうかな、デモっていうキャラではないかもな。
 先日、ちょっと書いた、坂本龍一鈴木邦夫の対談『愛国者の憂鬱』が届いたので読んだ。
 人と会って、人と話すことが重要だと気づいている。ふりかえると、このふたりはよく人と会っている。自分にウソをついていない人でなければ、人とちゃんと話すことはできない。
 理論武装って、結局、自分についているウソだから、そういうヨロイを着てぶつかり合っている‘ディベート’みたいのは、一見、エキサイティングに見えるかもしれないけれど、その実、お約束の結末にしかならない。エリートの話がつまらないのは、‘おれが正しい’っていうところから一歩も出ないからだ。

坂本 今でも反原発運動や市民運動をやってる人の中には‘自分たちが言ってることは正しいんだから、アンタも従うべきだ」みたいな態度の人も多いように見受けられるんです。だけど、それはダメですよ。

鈴木・・・ 右翼も左翼も、普通の社会とは違った原理で生きている。また、その集団は、どうしても中央集権的なところがありますね。みんなで討議するのはいいけど、いったん決まったことには全部従わなくちゃいけません。自分たちが変革の原液なんだと信じていて、決めたことを広げていけば、世の中はすべてよくなるんだと思ってる。民主集中性というものを持っています。
坂本 持ってますね。
鈴木 いったん決まったことに対しては、ちょっとでも個人的な疑問は出しちゃいけないんです。「それは裏切りだ」と。そういう意味では数の論理なんですよね。
(略)
その数が多ければ世の中よくなっていくと言うけれど、そうじゃないだろうなぁと。「数」だけでなく、そこに集まる一人ひとりが何を言うか。その「質」や「発言」だと思った。「動員された数」ではなく、きちんとものを言える人間が必要だ。それでこそ発言権があると思いました。当たり前のことを考えつくまで、ものすごく遠回りをしたんですよ。

 鈴木邦夫が、意外にもインタビュアーとして面白くて(まあ、それがちゃんと話ができるっていうことなんだけれど)、音楽畑のひととはひと味違う、坂本龍一の音楽の話も聞ける。
 特に、音楽の国民性について、英語、フランス語とかの言葉の違いより、音楽の違いの方が遙かに大きい、という話は面白かった。坂本龍一が聞けば、それがどこの国の音楽かわかるそうだ。同じように神をたたえる音楽でも、国によって違う。
 海外が多い坂本龍一だが、1980年代に、はじめてブラジルに行ったときは、異なる文化の国に来た、という感じがしたそうなのだが、後年、パソコンが普及したあとに行ったときには、「使ってる機械が同じなので、論理の組み立て方とかももう同じになってるんですね」と。戦後、アメリカ文化が日本を変えた、よくもわるくも、その変化の激しさを私たちは実感として理解していると思うが、今、インターネットが世界を変えている変化は、それと同じだというわけ。たぶん、それでもまだ私たちはインターネットの衝撃をちゃんと理解し切れていないだろうと思う。
 その一方で、インターネットはネトウヨみたいな連中を生んでいる、という鈴木邦夫の指摘には、坂本龍一もウーンとなっていた。
 この本すごく面白いのでおすすめしたい。他にもいろいろ紹介したくなるけれど、おすすめしといて、中身をべらべらしゃべるのもどうかと思うので、冒頭の有田芳生のカウンターデモについても書かれていた、そこだけ引用しておきたい。

坂本 ただ、普通の市民でそういうレイシズム(差別主義)に反対する人もだいぶ増えているようですね。
鈴木 そうなんです。
坂本 少しホッとします。
鈴木 有田芳生さんたちが呼びかけてるレイシズムに反対する集会で、いろんな学者に話を聞いたんですけど、学者の中では、「ドイツのように取り締まりを法制化すべきだろう」という人もいるんです。
坂本 そういう人も多いです。
鈴木 僕はそれには反対なんです。法制化すると逆に、今度は政府批判をするデモだって、警察の判断で取り締まられることになってしまう。ヘイトスピーチのデモは、やっぱり一般の人たちの力でなくしていった方がいい。
坂本 法律で縛るんじゃなくて常識で変えていった方がいいですよね。
鈴木 そうですね。だから、テレビが報道しないのは本当にだらしがないなと思って。

鈴木・・・かつて日露戦争後に講和するとき、外相の小村寿太郎がものすごく批判されましたよね。「領土も取れない、賠償も取れない売国奴だ」と。でも、「売国奴」だと言われるぐらいの覚悟ながなかったら、本当の「愛国者」には僕はなれないと思います。
坂本 そうですね。
鈴木 ところが、今だと「俺は愛国者だけど、お前は愛国者じゃない」「こいつは愛国心がない」と、他人を批判して、糾弾する言葉にしています。ということは、「愛国者」というのは、もう言葉じゃなくて凶器です。だから僕は今の「愛国心」という言葉が嫌なんです。

愛国者の憂鬱

愛国者の憂鬱