「LIFE!」

knockeye2014-03-22

 ベン・スティラーの「LIFE!」を観てきた。
 予告編を見て想像するような、主人公の白昼夢と現実が、「交互に展開する」とかだったら、けっこうありがちなんだけれど、この映画の場合、白昼夢も現実も、同じ時間軸で展開する。白日夢は、あくまで主人公の白日夢で、映画の‘手法’ではない。
 脚本のスティーヴン・コンラッドは、ニコラス・ケイジの「ウェザーマン」を書いた人で、そう言われてみれば、シナリオのフォーカスがずっと主人公にあり続ける感じが似ているかもしれない。
 つまり、ミュンヒハウゼン男爵とか鉄砲勇助とかの、エピソード羅列型のお話ではない。むしろ、ストーリーはきれいに円環を描いて、ぴたりとオチにつながる。
  オチがきれいにきまりすぎて、ちょっと釈然としないではない、と私は、内心思っているみたい。その釈然としない部分に、もうすこし分け入って考えてみると、オチに関わる部分だから詳細に書くわけにはいかないが、この映画で、いわゆる‘悪役’といえる人たちの立ち位置を考えると、あの結末で、「LIFE」という雑誌を作っている人の顔が、ぼやけてしまった感じはするのだけれど。もちろん、実際に雑誌編集に関わっているのが、あの‘悪役’たちでないことは重々承知だけれど、流れでいうと、表紙のキャプションが誰の言葉なのか、ちょっと宙に浮いたかなという気はした。
 ただ、釈然としないのはそれくらい。ショーン・オコーネルという伝説のカメラマンを演じたショーン・ペンと、主人公の母親を演じたシャーリー・マクレーンは、やっぱり、さすがの存在感だったとおもいます。
 雑誌が、紙媒体を捨てて、どんどんネットに移行していくことで、失われていくものがあるかどうかは、頭の片隅くらいには置いといてもいいのかもしれない。あまり無さそうな気もするけど。ニューヨーカーはそういう時代の変化に、そうセンチメンタルになるつもりはないらしいし。
 こないだ、NHKの集金人が来た。私は、地デジ化以来、テレビを観ていないので、引っ越しのついでに自動振り込みをやめようと、何度電話してもつながらないので、受信料は前の住所でそのまま払い続けている。
 それで、集金人にそういうことを言ってもしかたないのだけれど、スクランブル放送にすりゃいいだろって、そうすりゃ、観たけりゃいやでも金を払わざる得ないんだし、私みたいに観ないやつから金取ることもないし、いい番組を作らなきゃならないから、コンテンツの質も上がるだろって、言ったのだけれど、よく考えたら、そうしたら、集金人は全員失業なんだね。NHKの受信料システムは、集金人のためにあるようなものだった。
 そうして、いまでも、NHKの集金人が、全国津々浦々を歩いて、シールが貼ってあるかどうか見て回っている。なんかグロテスクな感じがする。