日曜日の神奈川新聞

knockeye2014-04-20

 日曜日の神奈川新聞に、今年、92歳になる元牧師の松本栄好という人の、慰安婦に関する証言が掲載されていたのを読んだ。
 陰惨で生々しい証言だが、この人にしても、この証言をはじめてしたのは、わずかに6年前のことだそうだ。河野談話に遅れることおよそ10年。
 不寛容について書いたときにも触れたことだが、ほんとうは、河野談話のようなあいまいで何が言いたいのかよくわからない官僚的な文章ではなく、太平洋戦争中のすべての不幸について、日本が国家として責任をとると言えれば、それがよかっただろうと思う。
 しかし、それを言えるだけの政治力のある政治家を、結局、私たちが持ちえなかったのだし、その機会は永遠に失われた。
 責任は、それを「とる」意思をどこかでしめさなければ、それが「ある」「ない」の議論はとどまるところがない。その責任をとることに、国民の意思をまとめることができるのが、よい政治家なのだけれど、そういう政治家がいなかったんだから仕方がない。
 もしそういう政治家がいれば、国の財源から元慰安婦に補償することに反対する人は少数だっただろうが、結局のところ、国のカネを官僚が握っている、官僚国家であるかぎり、決断力のある政治家は生まれないだろう。
 それで思い出したけれど、こないだ岡田斗司夫が、「振り込め犯罪結社」という本の書評で面白いことをいっていた。その本によると、今、振り込め詐欺に加担しているのは、普通の人たちなのだそうだ。普通の人たちがサイドワーク感覚で、振り込め詐欺に加担している。それが現状なのだそうだ。
 小泉政権民主党政権を経て、結局、政治が官僚支配を打破できないことが国民に周知徹底されてしまったので、官僚社会が日本のデフォルトの姿だとなれば、その社会には、モラルは建前としてしか存在しない。
 建前のモラルが、実効性のあるモラルに取って代わられるのは目に見えている。時代が変わるということなのだ。