『水死』

knockeye2014-05-08

水死 (講談社文庫)

水死 (講談社文庫)

 今回の帰阪には、タブレットを携行したわけだけれど、そうなるとやはり、電子書籍は便利。荷物がかさばらないのだし。
 大江健三郎の『水死』は名作だった。あざやかという感じ。
 読み終わってから、これ、いつ書いたんだろ?、て見たら、2009年だったんだけど、今年じゃないのか?って、不思議に思ったくらい。東日本大震災前に、ここまで危機感を持って作品を書いていた作家って、そういないとおもう。100年とか、そんな単位の問題意識じゃない。
 右とか左とか、国家とか民族とか、そういうちんけな自意識のよりしろしかない人は、こういう小説は読めないだろう。あざやかっていうのは、そのへんの挑発の軽やかなフットワークの印象が大きいかもしれない。
 終戦の日、水の中を泳ぐウグイの描写の美しさとか、ノーベル文学賞の選考委員って、やっぱり目が確かなんだなと、変な感心のしかたをしてしまう。
 だいたい、最初は、作家本人を思わせる主人公が、長年あたためてきた「水死小説」の構想を断念に至る、その完膚無きまでの挫折から話が始まるわけ。そこからしてもう見事。これ以上はもう何も言いたくない。
 こういう見事な小説を読むと、右だ左だのレッテルを貼って、また自分もそんな御フダを頂いて、それで安心している脆弱な連中の空っぽさがよくわかる。
 読めてよかったと思える、堂々とした小説。