「沖縄慰霊の日と海外報道」

knockeye2015-07-02

 今朝コンビニで週刊文春を買って、昼休みに小林信彦のコラムを読んでたら、「沖縄慰霊の日と海外報道」という副題で

 現時点でいえば、<集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案>を廃案か撤回するのがまず最初だと思う。

と書いてあって、文字を追う目が止まってしまった。
 きのう書いたことをもう一度書くのは、さすがに馬鹿げているようだけれど、ブログなんて、検索でヒットしたところしか読まないに決まってるし、ほとんどの人が、きのうの記事でさえ目を通さないことを知っているからで、もし、奇特にも、きのうの記事を読んだ人がいたら、煩雑になるけれどもごめんなさい。こう書いたの。

・・・言葉の問題なんだけど、「戦争法案」っていう法案はないのよ。通りすがりの赤の他人に署名を求める時に、ありもしない法案に反対してくださいって、自分で言ってて、それがオカシイと気がつきませんか?・・・そういう態度が不誠実だと思いませんか?
・・・
反対しようと本気で思ってるなら、それを(どれかわからないんだけど )、正確に名指さないと、批判として無効なのが分かりませんか?・・・

 小林信彦は、80年代からずっとファンで読み続けているけれど、改めて、信頼できる大人だなと思った。
 「集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案」と、正確に名指すことが、すでに批判としての力であると思うのだけれど、どうだろうか?。
 英国のガーディアン紙が安倍首相を「国家主義者」と断じていた、とも書いてあった。その指摘は正しいと思うが、こと防衛に関して、国家主義的でない国家元首が世界のどこかにいるものだろうか?。確かに、オバマ国家主義者ではないと思うが、ただ、アメリカが国家として、第二次大戦後ずっと日本に対してきたスタンスは、民主的であったといえるだろうか?。そして、オバマ自身も、防衛において、国家主義的でないと言えるものだろうか?。
 沖縄の米軍基地は、アメリカ民主主義の限界だとは思わないが、かなりの辺境であるには違いないだろう。その意味で、沖縄とヒロシマは地続きであり、それは、アメリカの正義を照らす浄玻璃の鏡であり続けるはずである。
 日米安保平和憲法は同日に生まれた、文字通りの双生児だが、沖縄の米軍基地は当然ながら、彼らより年長で、その意味で、日米安保平和憲法は、沖縄の米軍基地が生んだと言っていいのかもしれない。現実的には、この3つのうち、事物として存在しているのは、沖縄の米軍基地だけである。実は、沖縄米軍基地だけが「ある」ので、日米安保平和憲法は「ない」。沖縄の米軍が日本を守るわけがない。そして、すでに自衛隊が合憲なら、集団的自衛権なるものが合憲になるのは、時間の問題にすぎない。すべては時間が解決してくれる。
 しかし、沖縄の基地問題は、時間が解決してはくれない。沖縄の基地を本気で縮小するつもりなら、改憲について議論しなくてはならない。平和憲法が米軍基地を沖縄に縛り付けているからだ。「9条を世界遺産に」などというのは、「本土人」の奢りにすぎない。違いますか?。