ルノワール展

knockeye2016-05-26

 こないだピカソの《アヴィニョンの娘たち》について言い及んだのに、肝心の絵をアップしなかった。美術館で絵葉書を見かけたので買ってきた。

 
 でも、今、国立新美術館に展示されているルノワールの裸婦《浴女たち》は、《アヴィニョンの娘たち》と同じくらい衝撃的だと思う。《アヴィニョンの娘たち》ほどにセンセーショナルでもエポックメイキングでもなかったのは、たぶん、“あの”ルノワールが今さら衝撃的であるはずがないと思われたのか、いつの時代もそうしたものだが、“あの”ルノワールを誰もちゃんと見ていなかったか。
 コレクターのスターリング・クラークは、ルノワールを十指にはいる偉大な画家、とくに色彩家として彼に匹敵するものはないと絶賛しながらも、彼の後期の作品については「ソーセージのような血の色をした・・・」とか、「空気でふくらんだ手足」などと評していたと以前にも書いた。
 「女たちは、以前の彼女たちと違った女になって通りを過ぎてゆく。なぜならそれはルノワールの女たちだからだ。」と、マルセル・プルーストが書いた、「ルノワールの女たち」の面影は、晩年の裸婦にはない。
 私も実を言うと、ルノワールの裸婦については、曖昧な思いでいた。しかし、今回の《浴女たち》を実見して、いったい私は何を観ていたんだろうと思った。まさしくこれがルノワールだった。

 晩年のルノワールを度々訪ねたアンリ・マティスは、この絵を描くルノワールを目にしている。
 「人が彼を肘掛椅子へ運ぶのですが、彼はまるで死骸みたいにそこへ倒れこむのです。彼は手に包帯をしていて、指はまるで根のようで痛風のためにひどくねじ曲がり、絵筆を握ることもできなかった。彼の包帯のなかに絵筆の柄を通してあげるわけです。はじめの動きが実につらそうで、彼は顔をしかめていました。」
「半時間もして、調子がついてくると、この死人が生き返ってきたのですーーー私はあんなに幸せそうな人間を見たことがない。」
また、別の機会にはこうも言っている。
「彼は絶筆となった作品に一年以上を費やした。それは過去に描かれたどの作品よりも美しい彼の最高傑作である」