ピエト・モンドリアンの日本での展覧会は23年ぶりだそう。

モンドリアンといえばこういう絵を思い浮かべる。というか、これしか思い浮かばないんだけど、これは最晩年の到達だそうで、初期の頃の具象画も今回は多かった。
ハーグ市美術館所蔵作品が中心だそうで、もちろん画業の一部なんだろうけれども、それでも具象から抽象へと変化する過程が窺えて面白かった。



こんな風に作品を並べてみて、具象画と抽象画を紐づけて、抽象画を理解してみるというのも、モンドリアン鑑賞の常道かもしれない。同じモチーフが具象から抽象へと変化する描き方で捉えられているのがわかりやすい。
ピカソのキュビズムの初期の頃の絵がセザンヌに源泉があるとよく言われるし、現にセザンヌにはまるでキュビズム寸前のような絵もある。だから、セザンヌとピカソの絵をこの上の絵のように進化の系図のように並べることもできそうなのだけれども、セザンヌ自身は何かものを描く具象画家であり続けた。
ピカソもまたものを描く画家であり続けた。ピカソの絵に「コンポジション」なんてタイトルは見たことがない。「泣く女」、「何何の女」、「何々の上の静物」。
ピカソとセザンヌに共通しているのは、ものを見えたままには描かない志向だろう。世界が自分に見せてくるもの以上のものを描こうとしている。ピカソは《アヴィニョンの娘たち》を「最初の悪魔祓い」と呼んだ。
この対極にいるのがモネだろう。モネは世界が見せる一瞬の色にこだわり続けた。最愛の妻カミーユが亡くなったとき、死がその頬に刻んでいく色の移ろいを捉えようと夢中で絵筆を動かし続けた。世界が見せる一瞬の今がモネの関心事だった。
セザンヌやピカソは移ろいの向こうにあるものを描こうとした。セザンヌが私淑したのはシャルダンだし、ピカソはドガを好んでいた。ドガの「かかとをを見る踊り子」をピカソも描いている。ドガの窃視願望に共鳴している。
モンドリアンの初期の頃の具象画には、すでに、世界を見たままに描きたくない傾向がみえる。今回の展覧会で初めて知ったのは、モンドリアンがルドルフ・シュタイナーに影響を受けていたということだった。
ルドルフ・シュタイナーの学問自体は科学的にはとっくに否定されていると思う。「エーテル」なんて言ってる時点で、いつの時代だよってことになる。しかし、シュタイナーを考えるときには設問の仕方が一番の難問だと思う。
神がいるかいないかで神を語ることはバカげている。それと同じことがシュタイナーについても言える。問いかけ自体が難しい。簡単に答えられる問いに答えて分かったつもりになっても仕方ない。
モンドリアンの初期の具象画も晩年の抽象がすっぽりなくても評価が得られるレベルだと思った。しかし、最晩年の、今わたしたちがモンドリアンと認識する作品群には他にはない安らぎを感じる。他の言葉には還元できない。対象に挑む事をやめ存在する事を選んだ作品群は無題にふさわしい。これがファッションや建築に応用されていくのもよくわかる。柳宗悦のいう「文様」の域だと思う。