ディヴィッド・ホックニー版画展

knockeye2016-10-07

 町田市立国際版画美術館で、デイヴィッド・ホックニー版画展が始まっている。
 デイヴィッド・ホックニーは、昔からずっと好きだが、EIGHT DAYS A WEEKを観た直後のせいもあるだろう、ふと気がついてみると、デイヴィッド・ホックニーが王立美術学校を卒業してデビューしたのは、The Beatlesがメジャーデビューしたのと同じく1962年だった(ああ、比類なき時代よ)。

 今まで、デイヴィッド・ホックニーをそんな風に、時代とひも付けて考えてみたことがなかったし、たぶん、その方が正しいんだろうと思っている。ドラッグ、ロック、サーフィン、サイケデリック?。考えてみると、一般に信じられている60年代のイメージは、随分と型にハマったものだが、ホックニーの絵に、そんな痕迹を見つけることはできそうにない。

 ただ、The Beatlesもそうであるように、宗教や民族の壁を感じさせない、風通しの良さを共有しているように思う。
 同じように時代の寵児だったトルーマン・カポーティアンディ・ウォーホルとデイヴィッド・ホックニーは、奇妙にルックスが似ている。繊細だが自信たっぷりな若者に世界が喝采を送った、そんな時代もあった。

 キュビズムを写真で再解釈したフォトコラージュが、今回も2点展示されている。
ひとつの画面を複数の視点で描くことで、写真でもキュビズムが可能になる。私は、ホックニーを通してキュビズムを理解した。
 いわゆる分析的キュビズムと総合的キュビズムがどう違うかは、分析的キュビズムの段階は、ここでホックニーが取り組んでいる、視点の移動による遠近法の破壊がない。セザンヌの風景画を抽象化したにすぎない。キュビズムという命名は、実はここまでのことしか指していない。
 総合的キュビズムと言われる段階になってはじめて、複数の視点が現れ、遠近法の呪縛が解かれ、ピカソの言う「悪魔祓い」が勝利し始める。子供が描くように描けるようになる。
 ここまでキュビズムを咀嚼した画家は、ホックニーだけだと思う。評論家にはいるのかもしれない、知らないけど。でも、それを実際に絵にした画家はホックニーしか知らない。

 俵屋宗達の≪風神雷神図屏風≫を、尾形光琳が≪紅白梅図屏風≫に、酒井抱一が≪夏秋草図屏風≫に、展開して見せたと同じように、ホックニーキュビズムをフォトコラージュにして見せた。それは、評論家がうねうね言葉をつらねるのとはまるで違う行為である。
 ピカソホックニーは、徹頭徹尾、具象画家であったことも共通していた。
 図録に書かれている、1981年のこと、ホックニーは友人と中国を旅して、桂林で天才と話題になっている少年画家を訪ねた。
 少年は最初、絵を描いてみせようとしなかった。見世物あつかいにうんざりしていると思ったホックニーが、しかし、スケッチブックを取り出し絵を描き始めると、少年は突然、ホックニーの腕をつかんだ。こいつは画家だと気づいたのだ。
 少年は絵を描き始め、二人はスケッチブックの上で交流を深めた。
 ホックニーが去る日、少年はふたたびホックニーの腕をつかみ、長らく離そうとしなかったそうだ。
 11月23日まで。芹が谷公園もだんだん秋めいてくるので、足を運んでみてはいかがかと。