「ラスト・タンゴ」

knockeye2016-07-09

 タンゴがブームだなんていう話も聞く。「カフェ・デ・ロス・マエストロス」なんて映画を観たのは2010年のことだった。そのころ、そんなことを言っていたのかもしれない。わかる気もする。タンゴは様式化された恋愛のようなもので、能面の「小面」が様式化された美貌であるというような意味で、タンゴは恋愛よりずっと恋愛らしい、濃密な疑似恋愛のはずだから、自由な恋愛といいつつ、じつはぐたぐたの肉体関係にすぎないことは、それはそれでいいとして、ちょっとタンゴでも始めてみようかしらむと思う人がいたとしてもなんら不思議じゃない。
 「ラスト・タンゴ」は、タンゴ史上最高のペアといわれる、フアン・カルロス・コペスとマリア・ニエベスを描いたドキュメンタリー。フアンは83歳、マリアは80歳の今も、一線こそ退いているものの、現役で踊っている。
 二人が出会ったのは、マリアが13歳のとき、ペアを組んだのは16歳か17歳のときだったそうだ。マリアのインタビューでは、「タンゴなんて口実」だったといっていた。それから、1997年にペアを解消するまで、結婚したり、別れたりするわけだけれど、その50年の間に、ロックやなんやの音楽の流行の移り変わりに抗しながら、タンゴを改革していったという、フアンの側の物語には、この映画はあまり興味がないらしくみえる。
 というより、マリア・ニエベスという女性の魅力に逆らいきれないのかもしれない。
 この映画は、ヴィム・ヴェンダーズらしい、凝った構造になっていて、マリアのインタビューとマリアの若いころ、中年のころをそれぞれ、現役のタンゴダンサーがタンゴで表現するのだが、その彼ら自身がマリア・ニエベスに話を聞き、あるいはインタビュー映像を見て、感想を語り合う。
 マリアの話を聞いて、無条件の共感を示す女性はいなかった。アレハンドラ・グティもアジェレン・アルバレス・ミニョも、ふたりともおなじように、一瞬、返答に窮して沈黙する。パブロ・ベロンなどはインタビューを見終えた後、「難しいな」とつぶやいていた。
 初恋の男、50年もダンスペアを組んで世界の注目を集めたパートナー、愛し、憎み、尊敬し、裏切られ、その間、自分自身もいくつも恋愛を経験したというのに、80になった今も、はためには、その男を愛しているように見えるのだけれど、そんなことがありうるのかと、まじまじと顔を見つめてしまうかのようだった。これではまるで、タンゴそのものを生きているかのようではないか。そんなタンゴみたいな人生がありうるの?という感じで。
 そして、愛しているのと同じくらいに、憎んでいるように聞こえることもある。インタビューの途中で、昨日のことのように、怒りがぶり返すこともある。男はこういう女性と結婚生活を続けられたりしないと思うが、この女性がファム・ファタルであったことは忘れないだろう。
 突然のペア解消は、奥さんの懇願であったらしい。娘さんの証言ではフアンは残念に思っていたらしい。日本での初公演の後だった。
 コリオグラフィーも素晴らしいと思った。裸足で踊り始めて靴を履いたり、男性2人がひとりの女性を奪い合ったり、ダンスにテイストのある人は見逃すと悔しいだろうと思う。