「DON’T BLINK ロバート・フランクの写した時代」

knockeye2017-07-22

 つい書き忘れてたけど、ロバート・フランクのドキュメンタリー「DON'T BLINK」を、今月の初めに観た。
 ローラ・イスラエルてふロバート・フランクとは気心が知れた映像作家が、こういうのを作りたいってオファーした。で、「いいよ」って、スイッチが入ったらしい。もともと、インタビューすらもあんまり好きじゃないってことで、今回もそんな作りにはなっていない。
 彼女なら退屈なことにはならないだろうって信頼があったんだろう。その他にも色々あったろうけど、とにかくやろうってスイッチが入った。多分に感覚的な人のように思った。
 パンフレット(昔は、「プログラム」って云ってたのはなぜなんだろう?)に、1992年の会話が再掲されてた。Naoya Sasakiって人の文章。映画にも出てくるマブーってカナダの島にある、ロバート・フランクの別荘に向かう車の中での会話だ。
 「ウォーカー・エヴァンスがマブーに泊まりに来たことがあった」その時のウォーカー・エヴァンスが写真を撮っている姿を見て、「ああはなりたくない」と思ったそうだ。
 「自分自身を繰り返すことの恐怖」。マルタ・アルゲリッチが彼女を撮ったドキュメンタリー映画で「自分をマネしないこと」と即答した速さをなんとなく今でも憶えている。しかし、その時のウォーカー・エヴァンスが自分を繰り返していたのかどうかはわからないと思う。彼を見ていた若い頃のロバート・フランクがそう思ったってだけ。
 Naoya Sasakiって人が、このとき、荒木経惟の写真集を持っていったらしい。ロバート・フランク荒木経惟評をここに書き写しておきたい。
「例えば君が写真集を持ってきてくれたアラキ。彼はほとんど同じことを繰り返し繰り返し写真にしている。あれはあれですごいことだと思う。なぜなら彼にとっては写真はすでに彼自身だからさ。彼は写真を通して何度も何度も繰り返し自分の人生を生きている。あれがアートかと聞かれたら私はなんと答えていいか分からない。あるいはアートとはちょっと別のものだと思う。しかし彼が繰り返して見せる彼の居場所、猫、雲、ベランダ、東京、あるいはその町の醜悪さや懐かしさ、ビル、少女、妻、そして彼が抱えた哀しみ・・・・・・。あれはもう一種の宗教だ。彼はそれを信じているんだよ。それはとても強く別なものが入り込む余地などない。それは繰り返されることで見る方は更にそこに引き込まれていく。しかも彼はそれを実にクールにやり遂げている」
 今、初台のオペラシティ・アートギャラリーで開かれている荒木経惟の写真展に序文として掲げたいくらい的確な荒木経惟評だと思う。さっきのウォーカー・エヴァンスは、おそらく荒木経惟に触発されて思い出したのだろう。あるいは少なくとも、この荒木経惟評の序なのである。
 しばらく口をつぐんだ後ロバート・フランクはこう続けた。
「しかし私は彼ほど穏やかになれないんだ。対象ではなくて・・・写真というものが信じられないんだ・・・写真のことはよく分かっているつもりだが、信じることはできないんだよ・・・。」
 ロバート・フランクは写真をやめて、動画作品に移っていく。写真は「自然に消えていった」と彼はいう。「淘汰された」。「どのメディアが最も制約なくよりシンプルに今の感情を表せるかという選択の問題」。
 アートとしての動画作品は、ひとつには展示が難しいためと、もうひとつには、評価のスタンダードが定まらないために、まだ安定したジャンルにならない現状だと見えるが、フィオナ・タンとかサイモン・フジワラとかの動画は見てしまう。今、渋谷の松濤美術館で展示されているクエイ兄弟とかも。
 美術館で展示する場合は、大きめのモニターに、座り心地の良い椅子を多数、そして、展示室は明るくする、プロジェクターは使わない。音声はオープンで隣の展示がちょっと気になる程度。それと、コーヒーと軽食くらいはとれるようにする。一日がかりになるので、飲まず食わずはムリだから。
 話が逸れたけど、ロバート・フランクローリングストーンズの全米ツアーを撮った「コック・
サッカー・ブルース」は、ビジネスマンとして敏腕なミック・ジャガーの判断で公開が封印されたが、そろそろもう公開してもよいように思う。文字通り時効だろうし。
 ソウル・ライターとロバート・フランクの年齢はひとつ違い。晩年に売れたソウル・ライターと違い、ロバート・フランクはキャリアのごく早い段階で名声を手にしていた。しかし、家庭を顧みなかったってことはあったのかもしれない。そういうありがちな言葉でくくられるのは心外だろうけれども。繊細そうな息子さんの表情が印象に残った。