折元立身による折元男代の追悼

knockeye2017-09-22

 コンセプチュアルアートとは、ざっくり言えば、美術評論家が飼ってる犬の曲芸であるといっても大して間違ってないだろう。飼い主が聞くと「ごはん」と聞こえるらしいが、赤の他人が聞くと「ワン」としか聞こえないあのたぐいである。
 しかしながら、コンセプチュアルアートだか、なんだかわからないものの中には面白いものがある。というか、飼い犬でない人たちの作品はやっぱり面白い。
 折元立身のおかあさんの折元男代が今年の五月に亡くなったそうで、折元立身による追悼文がネットに上がっていた。
 折元立身はニューヨークでフルクサスと一緒に活動していた人だそうだ。ナムジュン・パイクがダダとフルクサスの違いについて「フルクサスの方が面白い」と答えていた。
 面白いか、面白くないかを基準に考えると、折元立身のばあい、折元男代との一連の作品が抜群に面白いと私には感じられる。認知症になった男代を介護するために帰国せざるえなくなった後、折元立身は介護そのものをアートにした。
 赤の他人から見るとただ介護しているだけだ。しかし、それをアートだと言い切って発表してしまう無理やりさは、これぞまさしくアートだと思う。オノ・ヨーコによれば、アートとは「生きていくのに必要な遊び」だそうだから。
追悼 折元男代──折元立身による追悼文