目黒自然教育園の前の道を渡って細い道を少し歩くと、畠山記念館に着く。ここは住宅街にあって、私のような方向音痴は何度来ても道に戸惑う。
畠山記念館は、荏原製作所の創業者、畠山一清の旧邸であった。即翁と号して茶を嗜んだ。《からたち》と銘された伊賀焼きの花入はここの所蔵品である。
この花入は明治のころまで加賀のさる素封家の手許にあった。加賀の人たちはよほど困窮しないかぎり、茶道具の名品を手放さない気風があったそうだ。それが《からたち》ほどの名品となるとなおさらで、加賀の外に出すべきかどうか茶人の間で議論があったらしい。しかし、即翁が能登の国主畠山の後裔であることから譲られることになった。《からたち》がいよいよ加賀を出るという日には、別れを惜しむ人たちが金沢の駅を埋めた。その話を伝え聞いた即翁は、社員一同に紋付き袴の礼装をさせて上野駅に出迎えたそうだ。
いつ聞いても泣ける話だが、わたくし、初めてこの《からたち》を観た日に泣いてしまったのである。泣いたっつったって、ソシオパスじゃないんで声を上げて泣きはしないが、ちょっとウルウルきてた。それを美術館の人に見られたので、しばらく近寄らないようにしていた。しかし、あの頃からだいぶ顔も老けたし、もうバレないんじゃないか。そもそも気にしすぎってだけのことはわかってるんだが、それが自意識ってもんだから仕方がない。
根津美術館ほど“huge”(これは根津美術館の庭を歩いていた外人さんがそう言っていた。アメリカ人でもやっぱりこれは“huge”なんだと意外に思った。多分テキサスの人ではなさそう。)ではないがこじんまりとした庭がある。この庭の紅葉の盛りにも今回初めて訪ねた。
この展覧会には、《からたち》は展示されていないが、《柿の蔕茶碗 銘 毘沙門堂 》が展示されている。これも名品。