目黒自然教育園

knockeye2017-12-03

 「『武蔵野のおもかげは今わずかに入間郡に残れり』と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。」国木田独歩『武蔵野』の冒頭。明治29年当時、「渋谷村の小さな茅屋」に住んでいた独歩は、「武蔵野の美今も昔に変わらずとの一語である。」と書いている。童謡「春の小川」に謳われた渋谷川が、コウモリの巣食う暗渠となり果てた今、その辺りに武蔵野のおもかげを求めて得られるはずもないが、しかし、椎名誠が新婚の頃に住んでいた吉祥寺の家は、窓から眺める雑木林の朝が美しかったと、椎名誠だからこんな表現ではないが、そんなことを書いていた。少なくともその頃まで身近だった風景をことごとくあっさりと葬り去った私たちだった。
 東京都庭園美術館に隣接する目黒自然教育園には「武蔵野植物園」と名付けられたスペースがある。武蔵野のおもかげをここに偲んでいいのかどうか、自分には判断できないが、都心に残された数少ない自然林なのは確か。

 昨日訪ねた鎌倉の谷あいと比べると、関東平野の雑木林は明るい。
目黒自然教育園
 それはおんどれの匙加減ひとつだろうと言われるかしらないがそうではなく、林に差し込んでいる光量そのものが多いので明るいところに露出を合わせても暗いところがつぶれない。
目黒自然教育園
目黒自然教育園
 そして、植物の種類が豊富。
目黒自然教育園
イイギリ、
ノイバラ
ノイバラ、
マユミ
そしてこれはマユミ。「何だ、マユミか、カケフかと思った」みたいなギャグは受けないので口に出さない方が良い。
目黒自然教育園

「武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干たる時、星をも吹き落としそうな野分がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。風の音は人の思いを遠くに誘う。自分はこのもの凄すごい風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。
 熊谷直好の和歌に、
よもすから木葉かたよる音きけは
   しのひに風のかよふなりけり
というがあれど、自分は山家の生活を知っていながら、この歌の心をげにもと感じたのは、じつに武蔵野の冬の村居の時であった。」
目黒自然教育園
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当あてもなく歩くことによって始めて獲られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処に吾らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこのような処がどこにあるか。北海道の原野にはむろんのこと、奈須野にもない、そのほかどこにあるか。林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのように密接している処がどこにあるか。じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。」
 目黒自然教育園は、残念ながら道に迷うほど広くはないが、この季節は訪ねてみる値打ちがあると思う。