展覧会の混雑には予測のつかないものがある。
国立新美術館で「ウィーン・モダン」を観た後、東京都美術館で「クリムト展」を観るつもりにしていた。「世紀末のウィーン」の一日にするつもりだった。
ところが、国立新美術館の方は行列もなく、けっこうゆったり観られたのに、東京都美術館のほうは、チケットを買うのにも行列ができてる。もっとも、午後三時だったから、たしかに、混雑しやすい時間帯ではあったにしても、これは、日を改めたほうがよいとおもわざるえなかった。
東京都美術館は、金曜日だけ夜8時まで開いてくれている。だけど、金曜日は働いているからね。たぶん、23区でお昼のお勤めをしている人にはちょうどよいのだろう。都の美術館だから、それはそれで正しい。
国立新美術館のほうは、ウィーンの世紀末とモダニズムの連続性に注目していた。ウィーン・ミュージアムの所蔵品が中心。めずらしいところでは、メッテルニヒのアタッシュケース(!)とか、シューベルトの眼鏡とかもあった。
最近は、部分的には撮影可の展覧会が増えたので、カメラを常携するようになった。国立新美術館では
これだけが撮影可だった。
ちなみに後日でかけた東京都美術館で、エミーリエ・フレーゲの17歳のころの肖像画(これもクリムトによるもの)が展示されていた。
一瞬、あのエミーリエ・フレーゲだよねと思うほどあどけないけど、面影はありますね。国立新美術館の説明では、エミーリエ・フレーゲとクリムトの関係は、エミーリエ・フレーゲが手紙を全部焼いて死んだのでよくわからない、となっていたが、東京都美術館の方では、新たに発見された書簡で、すくなくとも一時期は男女の関係だったとわかった、となっていた。17歳の肖像を掲げた横にそういうことを書いてあった。
クリムトは生涯独身であったが、すくなくとも14人の子供があったそうだ。徳川家斉の53人には劣るが、惜しみなく与うタイプだったみたい。あんまり堅苦しいこというと幸せになれないみたい。エミーリエ・フレーゲは実業家として成功した自立した女性だった。で、結局クリムトとも長くつづいた。
ペギー・グッゲンハイムもそうだったけど、自由な方がよくないでしょうか?。すくなくとも、他人がとやかく言うことじゃないと思う。
国立新美術館の方は、クリムトだけでなく、その前後の世代の画家たちも紹介されている。
これは、生前「画家のプリンス」と称されて、たいへん人気があったというハンス・マカルトの≪ドーラ・フルニエ=ガビロン≫なんだけど、少し角度を変えて観ると
わかるでしょぅか?。顔の真ん中、右頬のあたりにアスタリスクに切り刻まれた跡がある。
修復されているけれども、いったい、何があったんだろうと図録に当たってみても特に説明はないようです。
エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカといったのちの世代の画家たちの絵が観られるのもよいところ。
これは、エゴン・シーレの≪ひまわり≫。ひまわりといえば、ゴッホを思い浮かべる。そうなると、たいがいの人は、ゴッホのまねごとしかできくなるんだけど、このエゴン・シーレのひまわりはみごとにオリジナルですね。
ちなみに、東京都美術館のショップに
クリムトの≪ひまわり≫があったので。これもさすが。ですけど、でも、エゴン・シーレの鮮烈なデビューって感じが分かる気がしました。
東京都美術館のクリムト展の、キービジュアルというか、ポスターにはクリムトの≪ユディト≫が使われているのですが、 ユディトに関してはクラーナハの方がよいかなと思いました。
ユディトという女性は、敵に町が包囲されて絶体絶命というときに、敵将ホロフェルネスと一夜をともにして、その寝首をかいて町を救ったので、ユディトの顔にエクスタシーは違う気がする。クラーナハのように、エクスタシーはホロフェルネスの側にあると思う。