「掟」フランツ・カフカ

 大戸屋でおそい夕飯をしてたら、カウンターの隣の席に2人連れが座って、話し声が聞こえてきた。最初は男女かと思ったけど、女だと思ったのは、声変わりしたばかりか、仕損なったかの男の子で、二人は父と子らしかった。全寮制の中学か高校にでも行っているのか、久しぶりの会話のようだった。熱心に喋っているのはどちらかといえば男の子のほうで、父親は風邪気味らしく、たえず洟を啜っていた。コロナウィルス騒動もたけなわの折柄、それが気にかかって耳がそちらに傾いたかもしれなかった。
「僕がミュージシャンになるって言ったら反対する?」
「・・・・」
父親の声は聞き取れなかった。こちらに背を向けているためばかりではないかもしれない。
「止めないの?・・・ヘェ〜」
おお、これが世にいう「承認欲求」というものかと、ひとりで納得していた。
 ま、この会話は断片が耳に入ってきただけだ。二人は、気がつくといなくなっていた。わたしもすぐに店を出た。なるほど「承認欲求」と「夢」って言葉はこんなふうに違うんだなと、実例を目の当たりにして、自分の過去に思いが落ちていった。
 わたしは、不干渉の父親と過干渉の母親の間で引き裂かれて承認欲求の強い子だったと思う。父親はわたしに興味がないと思っていたが、たぶんその通りであるとしても、それよりも、父自身が、彼自身に興味がなかったのだろうと思う。自分の生活を愛せずに仕事に逃げていた。
 転勤の多い父親に伴って目まぐるしく環境が変わる暮らしで、子供の世界をつくることに失敗していたわたしには、つまり、社会も家庭も存在していなかった。そこそこ成績が良いことをよすがに、両親は安心していたのだろうと思う。
 しかし、わたしは破綻した。引きこもりになったのは、阪神淡路大震災のせいだと思っていたが、後から考えると、むしろ、阪神淡路大震災のおかげで、引きこもりから抜け出せたのかもしれなかった。生きようと思ったのだ。
 しかし、「終わった」と思って生きている生活の底にある何かからは目を背けて生きてきた。ときどきそれに触れると、黒いものが出てくる。それが出てくると身動きができなくなる。
 振り返ってみれば滑稽なことだった。「終わった」と思いながら、何十年も現に生きてる。過去にこだわり続けて生きてきた。カフカの掌編小説「掟」みたいなことだった。
 「掟」というタイトルで憶えているから、本野亨一の翻訳で読んだのだろう。

ある流刑地の話―他六篇 (1963年) (角川文庫)

ある流刑地の話―他六篇 (1963年) (角川文庫)

手塚富雄の翻訳もあったそうだ。ゲーテの翻訳なら、断然、手塚富雄ですけどね。

カフカ全集〈第3巻〉變身・流刑地にて・支那の長城・觀察 (1953年)

カフカ全集〈第3巻〉變身・流刑地にて・支那の長城・觀察 (1953年)

  • 作者:カフカ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1953/07/31
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