『1968年 - 反乱のグローバリズム』を読みました

1968年―― 反乱のグローバリズム

1968年―― 反乱のグローバリズム

 1968年が時代の分岐点と語られることは多い。このノルベルト・フライの本の他にも、日本では小熊英二も『1968』という本を書いている。ただ、アレは上下巻合わせて15,000円もするの。強気ですね。他にも色々な人が書いてます。
 もちろん、1968年その一年だけが、特異的に変わっていたわけではないが、ほぼ時を同じくして、世界中で、若者が社会に対して抗議する態度を示したのだし、それが暴力を伴った場合も少なくなかった。
 この本は、そのフランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、オランダ、東欧での学生運動を概観している。
 この世代は、その父が戦争責任を問われる世代であるわけだから、世界規模で広がったその反乱を、その父子関係の反映とみることはできると思う。すくなくとも、それが重要なファクターのひとつであることは認められるだろう。
 ほかには、戦争の影響で、相対的に若者の人口のボリュームがおおきかったこと、潜在的に若者世代の方が経済力があったこと、今よりも大学生の地位が高かったこと、そして、どちらにころんでいくにせよ、時代の変化の担い手は彼ら大学生であるはずだった。と考えると彼らが当たらざる勢いであったことに納得がいく。
 冷戦とベトナム戦争のピークがそこに重なるとなれば、戦争で権威を失った父親世代に対して、若者が厳しい態度に出るのは、イニシエーションとしてもむしろ当然であったろうと思える。
世界大戦を経験した地域で同時多発的に若者の反乱がおこったのは、今考えると、世代論として至極当然であったように思える。 
 学生運動そのものは、どの国でもどのみちすぐに終息してしまうのだが、その後の展開が、むしろ要点だと思えた。その点で、やはり、いちばんめざましく見えるのはアメリカだ。公民権運動、ウーマン・パワー、そして、何よりも、ヒッピームーヴメントに始まるカウンターカルチャーのなかから、今の世界を作り上げているPC業界が生まれたわけだった。
 カウンターカルチャーがカルチャーを塗り替えたのだし、現在進行形で世界を塗り替えつつある。
 そして、スティーブ・ジョブズAppleというビートルズと同じ社名を選んだことでもわかるように、イギリスの若者は、スウィンギング・ロンドンと呼ばれる若者文化で世界を席巻した。
 今回の読書で発見したのは、オランダの「プロヴォ」と名乗ったグループの運動で、「白い自転車」とか「白い家」など、乗り捨て自由な自転車を設置したり、空き家を占拠したり「白い計画」と言われる一連の運動は、他の国の学生運動とは少し毛色が違って、パフォーミングアートと市民運動を合わせたようなユニークな活動を展開していた。
 後に「カバイテル」という集団に発展し、アムステルダム市議会に代表を送り込むまでになるが、やがて既存の政治体制に吸収されていったようだ。
 旧枢軸国、ドイツではバーダーマインホフ、イタリアでは赤い旅団、日本では連合赤軍と、一部の学生がのちに左派テロリズムに転向していく。アメリカでもウエザーマンのようなテロはあったが、全体像の明暗は歴然としている。
 敗戦国では父性の権威が失われているために、アンチテーゼとして立ちはだかる権威が存在せず、学生たちのテーゼが昇華されなかったためだと見えてしまう。
 ただ、ドイツはナチスホロコーストという歴史的大罪が越えがたい高峰としてそびえているために、むしろ、それを価値観として共有しやすかったのではないかと見える。
 日本の場合、戦後すぐに釈放された共産党が、時代のアイコンになってしまったために、彼らの戦前を引き継ぐことになってしまった。戦後の市民生活のリアルから「市民運動」が乖離し始める、ボタンの掛け違えの始まりだったように思う。
 共産党の戦前とはつまり「天皇制反対」で、戦争の経緯を共産党の視点抜きで観れば、天皇の戦争責任は、まったくないとは言えないにしても、それが中心ではなかったろう。
 どう考えても、戦争の主体は文民統制を逸脱した軍部、なかでも陸軍だったと思う。そして、国民の多くもそう実感していた。でなければ、戦後、昭和天皇が全国を行脚してまわったとき、それが受け入れられるはずがない。
 しかし、政治的運動の方は「天皇制反対」「天皇の戦争責任」という線で走っていった。このミスリードが日本の一般国民に民主主義を定着させなかったのではないかと思う。すくなくとも、政治と市民との乖離をまねく一因となっただろう。
 皮肉なことに、学生運動を分裂させた要因のひとつも共産党だった。小熊英二の『民主と愛国』を読むと、1968年ころまでは、学生と一般大衆が価値観を共有していたようだった。
 しかし、この著者もとりあげているように、日本にも「べ平連」のような活動もあり、この著書にはないが、田中美津さんのウーマンリブもあった。三里塚闘争もあった。
 また、学生運動の周辺では「マンガ」という文化が定着していった。これは文字通り世界を席巻した。学生運動家たちの正典は、実際はマルクスではなくマンガだったと思う。彼らの周辺で、彼らの思いを超えて時代は急速に変わっていた。
 時代が彼らを動かしているにすぎないのに、自分たちはマルキストだと信じていたのだとしたら滑稽すぎる。この時の現実との乖離が、今、「リベラル」と言われる人たちに向けられる冷たい視線の原罪であるように思える。
 
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