入管法改悪と反知性主義

 反知性主義には少なくともふたつの意味があって、ひとつはただ「バカ」ってだけなので、これは置いておくとして、もうひとつの反知性主義は、前にも書いたが、三島由紀夫が「自分は反知性主義だ」と言ってしまうような意味での何かで、この場合「知性」と言って三島由紀夫が念頭に置いているのは、具体的に言えば丸山眞男のことらしい。
 丸山眞男を含むオールドリベラリストと言われる人たちに対する、三島由紀夫の世代の反発っていうのはなかなかで、まあ、三島由紀夫の場合は、この人は右翼の典型と目されているのだからその反発も不思議ではないが、同じ頃、左翼からアイコンのように扱われていた吉本隆明が、丸山眞男にくってかかっていたりするのは、今から見るとかなり不思議。双方と交遊のあった鶴見俊輔が板挟みでかなり困ったらしい。
 後から本で読むかぎり、丸山眞男吉本隆明が諍いあう、論理も心理もまったくわからない。オールドリベラリストとは言ってもリベラリストなんだし、むしろ、軍部が猛威を振るっていた時代にリベラリストであり続けた態度は立派だと言って良いはずなんだが、にもかかわらず、どういうわけで右からも左からも忌み嫌われ、吊し上げられるようになったのか?。
 わたしはそれは、結局、戦争で死ぬ世代と死なせる世代との確執だったんだろうと一応結論づけていた。次々と友人の死を見送り、自身も明日にも死地に赴かねばならないかもしれない。そういう体験をした、その同時代、リベラリストとは何をしていたのかと考えると、理不尽な怒りに突き動かされるのも無理はないと思っていた。
 しかし、反知性主義って点にフォーカスを絞ると、話はもう少しレンジが広くなるってことに気がついた。
 考えてみると、三島由紀夫が東大全共闘と対決していたのも、実は、ほぼ全校、共産党の下部組織である民青に支配された中、民青のちからがわずかに及ばない駒場キャンパスの片隅で行われていたのだった。
 決して、学生運動の主流派と対峙していたわけではない。三島由紀夫もそのことは当然知っていた。映画『三島由紀夫vs.東大全共闘 50年目の真実』で、三島由紀夫は「もし諸君が『天皇』の一言を言ってくれたら、喜んで一緒に戦った」と言ったのだった。安保反対を掲げつつマルクス共産主義革命のために戦っているのでもないとしたら、全共闘天皇を文字通り錦の御旗に掲げてもよかったのである。というか、全共闘がやっていたことは天皇親政を掲げて戦った明治維新と何ら変わらなかった。それを三島由紀夫は見抜いていた。
 全共闘のアイコンだった吉本隆明共産党無謬論を論破していたのだし、ここで、吉本隆明三島由紀夫に共通して見える「反知性主義」的傾向は、実は、西洋中心的な歴史観に対する反駁だったのであり、それは、また、世界的な潮流から見ても、共産党サルトルに対するレヴィ・ストロースによる批判といった、西洋哲学の大きな転換と歩調を合わせていたとも言えるし、三島由紀夫の日本に対するこだわりは、単に偏狭な愛国心というよりも、キリスト教が優っていて、西洋の文化が先進的であるという考え方に対するアンチテーゼが、その主観であったともとれる。
 レヴィ・ストロースが少なくとも七十年代の日本を愛していたのは事実だし、日本の近代そのものが、偏狭な西洋中心史観、キリスト教優位思想とでもいうべき偏見に対する反証の一面があったことも間違いないと思う。   
 だとしたら、「反知性主義」を批判するに際して「リベラリズム」をアイテムに戦うのは非常に愚かしい。リベラリズムはまだ曖昧で広い内容を含みうるので保留しておくとしても、「市民社会」とか、まるで17世紀の啓蒙思想のようなことを言っているようでは、反知性主義に太刀打ちできないだろう。
 啓蒙思想よりは反知性主義の方がまだマシなのである。啓蒙思想は本質は差別主義であり、そこからナチズムが生まれてきた。いまだに右だの左だのの思想があって、西の方にお手本になる市民社会があるんだという考え方だとしたら、それはちょっと勉強が足りないんだと思う。その考え方をアップデートできないから、反知性主義に負けるのだ。
 実際、今世にはびこってる反知性主義はただのバカなのである。しかし、デカルトヘーゲルあたりから続いてきた発展的な歴史観がすでに崩壊している以上、反知性主義のバカの方が、西洋かぶれしたバカより、自前のバカの分だけマシなのである。
 今回の入管法改悪反対のデモを見て、日本にも市民社会が残っていた、みたいなことを言う人がいてガックリきた。頭をアップデートしてもらわなくては困る。その考え方よりは反知性主義の方が先進的なのだから、それをいくら言っても彼らに響くはずがない。