『逃げきれた夢』

 二ノ宮隆太郎ってたぶんすごい人だと思う。
 この『逃げきれた夢』が商業デビューらしいが、「商業デビュー」の言葉の意味がよくわからない。私が過去に見た『枝葉のこと』『お嬢ちゃん』は商業作品ではなかったらしい。とにかく、2作品とも素晴らしかった。
 しかしながら、今回の作品も全然商業らしくはない。まったく二ノ宮隆太郎らしい。何ががというとまずセリフ。
 これがカンヌに選ばれたことは驚き。ACID部門という「先鋭的な9作品を紹介する」部門らしいのだけれど、二ノ宮隆太郎が「先鋭」を狙ったわけではないと思うんだ。しかし、『お嬢ちゃん』もそうだったけど、セリフが特徴的。さすがの光石研さんにしてもチャレンジングなセリフの数々だったんじゃないだろうか?。
 当たり前と言えば当たり前なんだけど、他の映画ではまず出会わないセリフ。どこかで聞いたことのあるようなセリフはひとつもない。
 仮にAIが過去の膨大なアーカイブの中からセリフを拾ってきて映画を作るとする。それでもし良い映画ができたとしても、今回のこの作品とは真逆のものになるだろう。
 二ノ宮隆太郎映画にはほとんど音楽がない。それでセリフだけで引き込ませる。長いセリフに、この人何言ってるんだろう?とつい耳をそばだててしまう。
 たとえば『お嬢ちゃん』にパチプロが長いセリフを言うんだけど、あれはいったい何だったんだろうと今でも思い出す。
 このセリフ、セリフ、セリフの映画が果たして日本語話者以外にわかるのかと思うだけに、600作品の候補からこの作品を選んだACIDの人たちはすごいなと思うし、選ばせた二ノ宮隆太郎はさらにすごいと思う。
 それともうひとつは光石研さんが実の父親と共演してる。『枝葉のこと』では、二ノ宮隆太郎自身も実の父と共演してる。よね。確か。
 光石研さん、『あぜ道のダンディ』以来の主演作なんだが、何かすごく挑まれてる気がしてくる。福岡の定時高校の教頭先生の役なんだけど、『怪物』の教育現場の描き方と比べると二ノ宮隆太郎のユニークさがよく分かると思う。『怪物』の方は「ええ?、そうなの?」と思わせつつも実はかなりリサーチしてると思うのだ、あくまでこっちの妄想だけど。
 『逃げきれた夢』もリサーチしてるのかもしれないけど、だとしたら、リサーチ結果の生かし方がユニークすぎる。「誰よりもタバコの吸い殻を拾う教頭」?。
 吉本実憂もすごくよかった。彼女の博多弁もホンモノだそうだ。思うんだけど、今の時代、誰が「対話」してるんだろうと思う。最近の出来事をつらつら考えるに、政治家、役人、マスコミは、対話、どころか、言葉から一番遠いところにいると思う。「可能」と言ったのは「不可能」の言い間違いでした・・・、で、そのままって、もう言葉じゃないじゃん。
 すると、今の時代の真摯な言葉って、表側の人たちにはほぼ残存してない要素だと思うんだ。あの人たち、マスコミも含めて、言葉は鬱陶しいと思ってる。それが本音でしょ。統一教会とのあれこれ考えても、靖国創価学会統一教会と裏で繋がってるって明るみに出ても、ニヤニヤしてるだけってすごくない?。
 政治と宗教って本来いちばんウソがあってはならない場がいちばんウソに塗れてる。そういう時代に、どうやって対話を成立させるか。そういう難しいことを、平気で、ということはつまり、別次元で、成立させてるのが二ノ宮隆太郎だと思う。
 いわゆる「ウソがない」ってことなんだけど、いうまでもなく「ウソがない」って言葉もウソに塗れてる時代なんだから、それを現に成立させる。そんな異才はそうそういないと思う。
 

逃げきれた夢

 久しぶりに渋谷のイメージフォーラムに行った。コロナ禍だったんだなと実感した。今んとこ公開館が少ないと思うけど、だんだん拡大するんだろう。是非、オススメ。