『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』

 誰もがおぼろげなあらすじくらいは知っている『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者エドモン・ロスタンが『シラノ・ド・ベルジュラック』を初演するまでの2週間。『カメラを止めるな!』の後半部分とか、『ラヂオのお時間』とか、そういう舞台の裏側を見せる面白さ。
 これを日本でリメイクするならエドモン・ロスタンは『カメラを止めるな!』の濱津隆之さんだなと思ったくらい。
 とはいえ、そういうシチュエーションの面白さだけでなく、なんといっても名作『シラノ・ド・ベルジュラック』がテーマなので、気持ちよく涙を流せる。
 これ、もともとは舞台だったそうだ。そういう点でも,『カメラを止めるな!』とか『ラヂオのお時間』に似てる。モリエール賞の5部門を制覇した勢いを駆って、舞台で脚本、演出を務めたアレクシス・ミシャリクが映画も監督した。
 どこまで実話なのか知らないが、フランス的な感覚として面白いし,羨ましいなと思ったのは、平気で法律を破っちゃうところ。
 ネタバレになるので書けないが、シラノ・ド・ベルジュラックを演じるはずのコンスタン・コクランが、ある法的なトラブルに巻き込まれて上演が危ぶまれる。
 この危機をどう乗り越えるかってなった時に、日本の作家ならどうするか、あるいは、日本の観客ならどういう結末を期待するかわからないが、この作品では「法律なんかに負けてたまるか!」って盛り上がる。
 法律は自分たちが作ってますって意識が強い人たちなんだってことがわかる。
 法律を絶対視しない柔軟さというより、自由を絶対視する原理主義なんだと思う。
 同じくフランス映画の『スペシャルズ!』でも、結局、政府が特例を認めるのだし。
 これくらい自由であることを重視している国でイスラムに対して反感が募るのは至極当然だと思う。
 フランスの中学校の教師が、授業でムハンマドの風刺画を使ったってことで、イスラム教徒に首を切り落とされた事件があった。しかし、そもそもフランスが自由だからこそ、イスラム教徒もフランスに住めるのであって、フランスの自由が気に入らないなら、フランス人の首を切り落とすのではなく、シリアの戦火の中で死を選ぶべきだったのではないか。
 自由を求めてきて、自由に歯向かうのは、それも自由だとしても、人を殺す自由はない。フランスの自由は血で血を洗う三十年戦争から獲得した知恵であり決断でもあった。
 今から思えば、カトリックプロテスタントの戦争をわずか30年で終結させたのは大したものだった。その背骨が信教の自由なのだ。70年も80年も宗教戦争をやめられないイスラム教徒がチャチなテロをやらかしても、フランスが自由を手放すとは到底思えない。
 菅義偉首相の学術会議をめぐる問題も国際的な視点からは、この文脈で批判されるってことをわかっているべきだと思う。
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