『茜色に焼かれる』についての

 『茜色に焼かれる』について武田砂鉄と石井裕也監督が話しているのを見つけたので紹介したい。
 前作の『生きちゃった』からずっと底に流れ続けているテーマは「言葉」、とくに日本語だと思っている。ので、監督自身がそこに言及しているこのラジオは興味深かった。
 『生きちゃった』は、道路の白線を歩き続ける冒頭から、娘にかける言葉を見つけようとするラストまで、言葉がテーマであることが明らかだったが、『茜色に焼かれる』の場合は、冒頭に置かれた「田中良子は芝居が得意だ」という言葉にあるように、どちらかと言うと「演劇論」によっているのかなと思う。「劇」としての言葉。
 『生きちゃった』の言葉はコミュニケーションとしてのそれだったけれど、『茜色に焼かれる』の言葉はウソも含んだ「表現」としての言葉だと思う。それは、自分たちを「なめてくる」現実と戦うための武器としての言葉なのかなと。

 宇多丸さんのムーヴィーウォッチメンでの評もリンクしておきます。
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 映画とは直接の関係はないけれども、日本政治家の言葉がひどいことになっている。

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 菅義偉という人の異常さは、森達也監督の『i-新聞記者ドキュメント-』を観た時にゾッとした。
 写真を見せて「ヘドロ化するおそれのある赤土の量が多すぎませんか?」と聞いているのに、「事実に基づかない質問にはお答えできません」というのだ。
 その無表情さがこの国の政治の現実なのだ。
 「西村大臣はそんな発言をしていません」。そんな国がこれからどうなるのか、そらおそろしい。