『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン 』

 アレサ・フランクリン生前の最大のヒットアルバムだった『至上の愛 チャーチ・コンサート』は、教会で聴衆を前にゴスペルを歌ったライブ録音だった。
 『アメイジンググレイス アレサ・フランクリン』は本来なら、その1972年当時に公開されるはずだったが、それが今まで公開されなかったのは、政治的な理由でもなんでもなく、撮影クルーが「カチンコ」を鳴らさなかったからなのだそうだ。
 カチンコって、カメラを回す前に「よーいアクション!」とか言って鳴らしてるじゃないですか。あれ何のためにやってるのか、今初めて知ったわ。音と映像を編集でシンクロさせるための、いわば、浮世絵版画でいう「見当」の役割をしていたのね。
 でも、教会で撮影するってときにカチンコは鳴らせないって気持ちはわかる。監督はのちに『愛と哀しみの果て』でアカデミー監督賞を受賞するシドニー・ポラックなんだけど、このエピソードを聞くかぎり、この時カチンコの意味を知らなかったってことになると思うんですけど。頭を抱えたでしょうね。アレサ・フランクリンのファンで、自分から監督を買って出たって経緯もあったらしいから。
 このお蔵入り物件をプロデューサーのアラン・エリオットが買い取って今回のプロジェクトがスタートした。パンフのインタビューによると、カチンコが入ってないってことについてワーナーブラザーズから聞いてなかったそうなのだ。ほんとかな?。そういうの説明義務がありそうな気がする。
 しかし、半世紀ちかい技術の進歩で音と映像のシンクロができた。当時はハンディカムすらなかったわけだから、大変だったんだろうと思う。アレサ・フランクリンも、進行役のジェームズ・クリーヴランドも大汗をかいているが、熱演のためばかりではなく、照明が熱いんだろうと思う。マーティン・スコセッシローリングストーンズのコンサートを撮った2008年の『シャイン・ア・ライト』でも、ミック・ジャガーが「ケツが焼ける!」と叫ぶシーンがある。
 観客のなかにミック・ジャガーの姿もあった。ミック・ジャガーはほんとに黒い音楽が好きなのは『バックコーラスの歌姫たち』とか『ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王 ジェームス・ブラウン』とか、そういうドキュメンタリーには必ずといっていいほど顔をだしている。
 『バックコーラスの歌姫たち』にもゴスペル出身で牧師の娘さんたちが多かった。アレサ・フランクリンの父親のC.L.フランクリンも教会の牧師。この映画にもゲストとして招待されているけれども、歌の合間にスピーチを求められても堂々としたものだった。
 アレサ・フランクリンをゴスペルに導いたクララ・ウォードも招かれて最前列に座っていた。彼女はまたC.L.フランクリン師の公然のパートナーでもあったそうだ。
 この映画に描かれるような黒人に独自のキリスト教のありかたは、音楽の魅力とあいまって、ずっとエキゾチックな興味の対象として見られてきた気がする。そう言いだすと黒人音楽全体がそうなんだけれども、しかし、ブラックライブズマターの盛り上がった今となっては、こうした宗教のありかたが彼らにどうしても必要だったということがひしひしと伝わる。
 音楽に荘厳されたこうした宗教の場を彼らが必要としたその背景の方は、これからもなかなか変わる気配がない。その重さが遠く離れた日本人にさえちょっとはわかる時代になったと言えるのかもしれない。
 これは、「イマジン」で「imagine there's no heaven」とか、「God」で「God is a concept by which we measure our pain」と歌ったジョン・レノンの感覚と対照的で面白い。
 ところで、あつぎのえいがかんkikiの音響はすごくいいってことにいまさら気が付いた。まだ新しいってこともあるのかもしれない。こんど、『アメリカン・ユートピア』の公開とともに、『ストップ・メイキング・センス』もリバイバル併映されるそうなので楽しみにしている。

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あつぎのえいがかんkiki | 神奈川県厚木市のミニシアター