1994年のこの映画がなぜ急に公開されることになったか、とにかくすごく面白い。
画廊主の話によると、ロバート・クラムは現代のブリューゲルにして、
現代のゴヤ、
また現代のドーミエだそうである。
私に言わせると、それに現代のフェリシアン・ロップスも加えておきたい。
このMr.ナチュラルが映画内で紹介されていたが、悪夢的だと思った。
Mr.ナチュラルに首のない女性をプレゼントされた主人公がさんざんもてあそんだ後、賢者タイムに罪悪感を感じてMr.ナチュラルに相談すると、女の首は裏返しに体の中に埋まってたという話。
まさにアンダーグラウンドコミックという感じだが、その創始者がロバート・クラムだそうだ。
この映画公開当時でさえロバート・クラムの原画はオークションで高値がついていた。
しかし、ほんとに面白いのはこの人の家族で、特に、お兄さんのチャールズは身につまされた。名前がクレジットされているデビッド・リンチはプレゼンターとして名前を貸してあるだけだそうだが、ただ、デビッド・リンチがいちばん興味を持ったのはチャールスだそうで「チャールズの映画を撮りたい」と言っていたが実現しなかった。
高校時代のチャールズの写真を見るとハンサムだが、いじめられてそれ以来引きこもりになった。コミックも最初は共作していた。やめる頃のチャールズの絵はほとんどアール・ブリュットのような偏執さが見られる。
彼が引きこもっている部屋でインタビューというか、ロバートとチャールスとカメラマンでよもやま話をしていると、階下から母親が声をかける。この母親がこの元ハンサムな長男をどうしても支配下に置きたいのがわかる。
高圧的な父親と支配的な母親の親殺しを果たせなかったこの兄がいたからこそロバートは生き延びることができたとさえ思える。
他にはセックスと絵と音楽。
劣情としか言いようのないこのむき出しの性欲を肯定したからこそロバートは生きることができた。
「何と最低に輝いているんだろう。」
子供の頃、チャールスがロバートによく言った言葉だそうだ。
「世界から切り離されている感じ」
とロバートはその感情を表現している。ニュアンスは捉えきれないが、地獄のぬかるみでのたうち回っている感じ。その泥ハネを撒き散らしている感じが確かにある。
映画の最後にロバートは家を引き払いフランスに移住する。そして、チャールズはこの映画の一年後に自殺した。出口のない重たい自然主義小説のようなあらすじをエロとナンセンスでまぶしたような乾いた笑いに満ちた、ちょっとえがたい映画だった。