この映画が成立した経緯が面白い。監督のポール・サルツマンという人はカナダのいわば二世タレントみたいな人で、当時からテレビで活躍していた。
そういう彼が失恋をきっかけにインドに出かけてみようと思った。当時の西欧の若者はそんな感じだったのだろう。ポール・サルツマンは1943年生まれ、ポール・マッカートニーのひとつ下、ジョージ・ハリソンと同い年。
目指したマハリシ(ヒッピーたちから3大グルのひとりと目されていた)のアシュラム(修行道場)は、「一見さんお断り」みたいなシステムだったらしいが、門前で3週間だったか寝泊まりして入れてもらえた。そこにたまたまビートルズ、ドノヴァン、マイク・ラヴ、ミア・ファーローなどがいた。
この時のビートルズはロンドンを離れてリフレッシュしたい気分ではなかったのかなと思う。そういう時に、同年代の若者とはいえ、カメラを向けられるのはイヤじゃなかったのかなと思うのだが、アシュラムの隔絶された環境での仲間意識のせいか、それとも、カメラを向けられるのに慣れてるせいか、写真の表情がすごく自然で柔らかい。
それに加えて、ポール・サルツマンという人がすごく自然体だったのだろうと思った。何とこれらの写真はその後32年間もガレージにしまいっぱなしだったそうだ。ポール・サルツマンの娘さんが、美術関係の仕事をしていて、「パパそういえばビートルズの写真があるって言ってたわよね」みたいなことから公表されることになった。映画の公式サイトには「それから32年後、自宅の地下室でそれらを発見し、」とある。自分で撮った写真を「発見」って。
そういう人の撮った写真なんで自然なんだろう。ビートルズよりも、瞑想が主眼であったらしい。何なら制作総指揮のデヴィッド・リンチも瞑想をするらしい。アメリカやヨーロッパの映画に出てくる「瞑想」はほぼこの時のムーヴメントを源流としていると思われる。最近では『私は最悪』にもでてきた。
マハリシの瞑想にはまったく宗教臭がしないのがウケたのだろう。マハリシ自身が大学で物理を学んでおり、映画の中にも出てくるが、瞑想の効果を第三者機関で科学的に測定してもらったりもしている。
リシュケシュにあった当時のアシュラムは、今は廃墟になっている様子だったので、マハリシのその後がどうなったのか気になったが、彼自身は天寿を全うし、団体は今でも受け継がれているらしい。ヒーリングとしての瞑想で現に癒される人がいるのは不思議じゃない。マハリシの団体は一時期は宗教ですらなくなっていたらしい。大学で物理の学位をとった後、ヒンドゥーのアシュラムで修行したマハリシにとっては、そういう非宗教化がいちばんしっくり来たに違いない。
そういう感じははジョン・レノンの「イマジン」の世界観とも矛盾しないはずなんだけれども。時代が共有していた空気だと思う。当時はハワイのサーファーたちも瞑想していた。『ゴーイング・バーティカル』か『バスティン・ダウン・ザ・ドアー』に出てきた。小林信彦もその辺のことをギャグにしている。
ポール・サルツマンの娘さんのデヴィアニ・サルツマンとの会話もおもしろかった。娘さんはインドの血を引いているので、つまり、ポール・サルツマンはインドの女性と結婚したので、彼女の方がヒンドゥー教に理解があるのかと思いきや、「パパの瞑想の話にはついていけないわ」みたいな感じなのである。
このリシュケシュ滞在中に『ホワイトアルバム』やその後の楽曲の多くが構想されたのだけれども、ジョン・レノンの「セクシー・セディ」についてはここに詳しい。マハリシについてのセックス・スキャンダルを、あるスタッフから聞かされたジョン・レノンが、ジョージ・ハリソンの袖を引っ張るように突然帰国してしまった。のちに、出まかせだとわかった。
ちなみにこのセックス・スキャンダルにも、ウディ・アレンの時と同じくミア・ファーローが絡んでくるのがおかしい。
ジャン・レノンは時々ひどく感情的になることがある。「ハウ・ドゥー・ユー・スリープ」ではポール・マッカートニーを罵倒してるのだが、ドラマを叩いたリンゴ・スターにたしなめられたそうだ。ジョンは後にも「プライマル・スクリーム療法」というセラピーにハマったことがあった。少年期のトラウマがあって安定しないところがあったらしい。
リシュケシュは、リンゴ・スターにとっては「旅行」、ポール・マッカートニーにとっては「休暇」、ジョン・レノンにとっては「治療」、ジョージ・ハリソンにとっては「運命」といったところか。ジョージ・ハリソンのインド音楽は当時は「?」って感じだったが、今では高く評価する人が増えている。