『コンサート・フォー・ジョージ』ネタバレ

 『コンサート・フォー・ジョージ』が、突然って感じで映画館にかかり始めたので観に行った。
 2002年11月29日、ジョージ・ハリソンの一周忌に、ジョージの妻オリビアと息子ダーニによって計画され、ジョージの親友、エリック・クラプトンの主催で、ロイヤル・アルバート・ホールで催された。
 その高音質リマスター版の映画がなぜ今なのかといえば、海外ではコンサートの20周年を記念して去年公開されたものが、日本に一年遅れで入ってきたってこと。今や日本は世界同時公開の仲間には入れないみたい。年式落ちでようやく観られる。
 ポール・マッカートニーエリック・クラプトンはまだまだ現役で活動しているが、それでも20年前は20年前。今より20年若い。
 私は『SLOWHAND at 70 LIVE at the ROYAL ALBERT HALL』ってクラプトンの古希を記念したコンサート映画を観たことがあるが、それすら2015年だから。それよりさらに13年も若い頃の演奏ってことになる。
 その映画でも触れられていたように、ロイヤル・アルバート・ホールはエリック・クラプトンのホームグラウンド。
 最新のローリングストーン誌のギタリストTOP250では、エリック・クラプトンは衝撃の35位。永らくTOPの地位を守っていたエリック・クラプトンだが、時折りの政治的発言が災いする。今回は、反ワクチンの姿勢が影響したと思われる。
 過去(1970年代後半、イギリスの経済がもっとも厳しかった時)には、National・Front「国民戦線」という、反移民政策を掲げる政治団体に支持を表明してみたり。
 だが、それらのことは私には、常識を重んじるイギリス人特有の保守性だと見える。政治オンチには違いないと思うが、コロナ禍で閉塞するなかで『ロックダウン・セッション』なんて配信ライブを届けてくれたりもしている。

 そんなふた昔ですらあるジョージ・ハリソンの追悼コンサートに、リンゴ・スターが招き入れられた時の観客の盛り上がりには胸に迫るものがあった。
 リンゴ・スタージョージ・ハリソンは、ジョン・レノンポール・マッカートニーに比べると、何となくビートルズのセカンド・ローって感じがしてたのが、時を経るにしたがってだんだん評価が高まっていった。
 ビートルズのドラマーがメジャーデビュー直前にピート・ベストからリンゴ・スターに変更になったについて、私もそれなりにいろいろ思いを巡らせてきたけれど、結局、リンゴのドラムが圧倒的だったからってシンプルな結論に落ち着いた。なんだかんだ言ってビートルズのメンバーは音楽に妥協しない。よく考えれば当たり前だけど、それ以外に何か理由があるんじゃないかってのは下衆の勘繰りにすぎなかった。
 リンゴ・スターの歌った「想い出のフォトグラフ」が全米NO.1になったのは、ビートルズ解散後、ジョージ、ポールに次いで3人目。意外にもジョン・レノンより早かった。歌うだけなのかなと思ったけど、その後はドラムセットに座って最後までドラムを叩いていた。
 エレクトリック・ピアノはずっとビリー・プレストンビートルズ解散前からサポートメンバーとして参加している)が弾いていたし、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を演ったときは、ピアノはポール・マッカートニーが弾いていたし、もちろんギターはクラプトンで、オリジナル純度のかなり高い演奏になっていた。
 ジョージ・ハリソンビートルズに持ち込んだ最大の貢献といえば何と言ってもインド音楽。彼のシタールの師ラヴィ・シャンカルもこの時はまだ存命で、演奏は娘のアヌーシュカ・シャンカルに任せていたものの顔を見せていた。もちろん、「ジ・インナー・ライト」を演った。
 ビートルズのインド要素もだんだん評価されてきている。正直、最初聞いた時は「?」だった。
 アヌーシュカ・シャンカルは、一瞬、ノラ・ジョーンズかしらと思った。異母姉妹だけど、半分思い込みかもしれないが、似てるように見える。どちらもお美しい。
 ポール・マッカートニーウクレレで「サムシング」を歌い出す演出は、2009年にシティ・スタジアムの柿落としとして開かれたポール・マッカートニーの『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ』でも演っていた。あのウクレレもジョージの遺品だったはずなのでこの時にもらったのかもしれない。
 ポール・マッカートニーはちょっと控えめにしていた感がある。追悼コンサートってこともあったからだろう。『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ』は、シティ・スタジアムの柿落としだが、そのシティ・スタジアムの前身はかのシェイ・スタジアムで、この最後のコンサートはビリー・ジョエルがつとめた。これにポール・マッカートニーが特別ゲストに出て、ビリー・ジョエルを食ってしまってた。この返礼にポールのコンサートにビリー・ジョエルがゲスト出演したのだが、返り討ちに会っていた。
 個人の感想かもしれないけど、疑うかたはご自身で確認ください。良くも悪くもポール・マッカートニーのスター性は生まれつきとしか思えない。その記憶があるので、この日はおとなしくしていたように見えた。
 面白いところでは、モンティ・パイソンのメンバーにトム・ハンクスが加わって木こりの歌を歌っていた。これはジョージ・ハリソンとどう関係あるのかわからないけど、まあ追悼だから。
 「マイ・スウィート・ロード」も平気で歌っていた。いうまでもなく、この歌はロナルド・マックの「ヒーズ・ソー・ファイン」の盗作として訴えられて敗訴したいわくつき。ただ、そっくりな歌ってのは探せばあるもので、こういう裁判がこんな形で決着するのは珍しく、ビートルズの一員でなければこんな結論にはならなかったろうと思われる。
 この辺の鈍感力というか、反骨というかがエリック・クラプトンらしい。色々知った上で、知らんふりしてしれっと演ったんだと思う。
 


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