『燃え上がる女性記者たち』『国葬の日』ネタバレ

 この二つの映画を同日に観られたことは私にとっては有意義だった。
 映画の内容とは直接の関係のない話を先にしておく。インドのモディ首相が推し進める、ヒンドゥー化政策に呼応して、ヒンドゥー原理主義の活動をする若者と、安倍晋三元首相の殺害現場に花を手向けに来ていた若者がそっくり。
 顔がそっくりなのにも驚いたが、それよりもその言説の「うつろさ」。ヒンドゥー原理主義の若者は、「牛には33000万の神々が宿ってる。だから、牛を讃えることが何より大事なんだ」と言いながら肌身離さない刀をちらつかせた。
 安倍晋三シンパの若者は、なぜ花を手向けに来たのかとの質問に「自分が中学の時からずっと首相だったし、防衛に貢献したから」と答えていた。
 若者とはどこでもいつの時代でもこんなものなのかもしれない。自分が何をしているか実のところよくわかっていない。
 『国葬の日』は、大島新監督の映画だが、足立正生監督の『REVOLUTION+1』のユーロスペース渋谷での舞台挨拶の様子が写されていた。安倍晋三殺害犯を主人公にしたこの映画は、確か、まだ未完のまま国葬の日にぶつけて上映されたのだった。山上徹也の銃撃を「テロ行為」という観客に対して、「いや、だから、今の話聞いてなかったの?。何をもって『テロ行為』って言うんだって」と。
 つまり、社会を不安に陥れる、恐怖で社会を操ろうとする行為がテロ行為だろってわけ。安倍晋三が死んで誰が不安に陥ったのか?、って言われてみれば、確かに、自民党の政治家たちでさえ、どの程度ビビったのか。それより、自民党統一教会とのつながりがバレた方が、社会に与えたインパクトははるかに大きかったに違いない。その意味では、この銃撃事件を「テロ」と呼ぶのは明らかに「操作」なのだ。簡単に言うと「ウソ」なのだ。
 この手の「ウソ」で社会を動かそうとする企ては歪みしか生まないと私は思う。
 前にも書いたのでここでは繰り返さないが、上田秋成がホントのことを言ったのに対して、本居宣長は「ウソ」を言ったのだった。また、その「ウソ」がすごく気持ち悪い。あれを書いた時より、今はさらにはっきりとそう思う。あの時は、今のネトウヨより本居宣長小林秀雄の方がまだしも知性的だと書いたが、むしろ本居宣長の態度こそ「反知性」の源流かもしれなかった。
 小林秀雄は、本居宣長を、古典の読み手として、つまり、文化の側から弁護しようと試みたわけだった。それは、敗戦の直後に「私はバカだから反省しない」と言った自己についての弁明でもあった。
 その「ウソ」は「文化」だったと言いたかったのだと思う。「牛に33000万の神々が宿る」って「ウソ」は「文化」だ。だから、そのためにイスラム教徒とヒンドゥー教徒が殺し合いをしても、もし彼がその「ウソ」を広めたアイコンだったとしても、張本人は何の責任もないと言いたいのだろうけれど、果たしてそうか?。
 ミーラさんは、もし後世の人たちに、あなたたちはあの時代、何をしていたのかと聞かれても、私たちは全力で抗議したと胸を張って言えると語っていた。
 
 『燃え上がる女性記者たち』は、インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、アウトカーストアンタッチャブルとして差別を受けるダリトの女性たちが立ち上げた新聞社「カバル・ラハリヤ」を、インド出身の監督、リントゥ・トーマスとスシュミト・ゴーシュが取材した長編ドキュメンタリー。完成までに5年の歳月を費やした。
 インドといえば、ついこないだ『The Path パルバティ・バウル 風狂の歌ごえ』という映画を観たばかり。あのパルバディは今はカーストを越えてバウルをしているわけだが、もともとはカーストの最上位バラモンの出身なので、足の甲に口づけを受ける最敬礼を自然に受けていた。ミーラさんがそういう礼を反射的に拒否するシーンを見て、インドってやっぱり人々に階級意識が染み付いてるんだなあと実感した。
 このドキュメンタリーは「カバル・ラハリヤ」が、デジタル化に挑戦し始めた頃から追い始めている。記者の人たちはまずスマホの扱い方から学び始めなければならない。そして、ほぼスマホだけでどんな現場にも乗り込んでいく。おそらく日本人なら中学生でも持っているようなスマホだけ。日本の報道のていたらくを目にしてる身には感涙ものだった。
 主任記者のミーラさん、若手のスニータさん、新人のシャームカリさんを中心に描いているのだけれど、この3人のキャラが立っていて、ドラマとして楽しめさえした。特に、シャームカリさんは、はじめは動画の投稿の仕方がわからないってところから始めたのに、最後にはきちんとした記者の面構えになっているのに感動した。

 『国葬の日』は、大島新監督のドキュメンタリーとしては、今までの『なぜ君は総理大臣になれないのか』、『香川1区』に比べるとグッと客観的な仕上がりになっていて、結局はこういう風なのが力があるのかもしれない。国葬の日1日の日本各地の様子をスケッチしたa day in the life。
 さっき言った渋谷、奈良の現場、に加えて、沖縄辺野古、そして静岡の台風被災地では、サッカー部の高校生たちが浸水したお宅の復旧のためのお手伝いをボランティアしていた。
 「じゃあこれでラーメンでも食べて」と差し出された一万円を「いや、それじゃいいバイトになっちゃいますし」と言って断っていた。頭数で割ると1人二千円にもならなそうだった。被災した家の有り様をみるかぎり、その程度ではとてもいいバイトとはいえないと思う。
 今、岸田政権の支持率は暴落する一方であるが、あの国葬のゴリ押しは、口先で何を言おうが、この政権が、すべては自民党のやりたい放題と思っている。あの国葬はその「見せつけ」デモンストレーションだと、喫茶店のおばちゃんが語っていた。おそらく、そう思った人は多かったのではないか。支持率がそれを示している気がする。

writingwithfire.jp

kokusou.jp


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com

knockeye.hatenablog.com

knockeye.hatenablog.com