『ミスター・ムーンライト』

 1966年のビートルズ来日をめぐるインタビュー集。ビートルズ自身の映像はあまり出てこない。この映画に先立つニュースで、ビートルズの武道館公演を、その警備を担当した警視庁が撮影した映像が公開されたというのは聞いていたのだけれど、ただ、これは無音だそうで、センスがないというか、徹底してないというか、貧乏くさいというか。
 せめて武道館ライブの一曲なりと聴かせてほしかったが、それはまあ権利関係で無理だったんだろう。そう考えると『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years』にシェイスタジアムのライブ映像がほぼそのまま使われているのはほんとに贅沢だった。
 今では、ビートルズといえばすべての音楽エンタメの源流であり、武道館と言えば日本のミュージシャンの聖地だが、1966年当時の日本でのビートルズの評価はまだらで非対称的だったことがよくわかる。
 特にアホらしいのは、またしても当時の右翼で、「神聖な武道館を穢すな」的な。そういう右翼の声を抑えたのが、来日直前のビートルズの叙勲だったというのもいかにも彼ららしい。武道館の実態は別に神聖でも何でもなく、関係者のインタビューでは、当時、利用者が少なくて困っていたので、むしろ「ワタリにフネ」だった。実際は、ビートルズ来日公演が武道館を聖地にしたのだ。
 この映画は、だから、来日した頃のビートルズを描いたというより、ビートルズが来日した頃の日本を浮き彫りにしている。
 ほとんど海外旅行に行くことすらままならなかった貧乏国に何とかビートルズ来日を実現させた人たちの方が、反対したり斜にかまえたりしていた人たちよりはるかに魅力的なのはいうまでもない。なかんづく日本初のプロモーターと言われる永島達司の存在がすばらしい。後年、ポール・マッカートニーは、永島達司に「自分達を騙さなかったのは君だけだ」と語ったらしい。
 というのも、これは少し映画を離れるが、当時はビートルズのようなビッグタレントのマネジメント自体がまだ未整備であり、マネージするブライアン・エプスタインの側からすると全くの未曾有の体験なので、戸惑うことも多かったらしい。世界初のスタジアムコンサートだったシェイスタジアムのコンサートも、そうせざる得なかった事情があったらしい。
 タレントグッズの売り上げの利益率などかなり不利な契約を結んでしまったために、ライブの売り上げで稼ぐしかなかったとか聞いている。日本やフィリピンにもいかざるえなかった。ビートルズに日本の印象を良くしたのは、先立つフィリピンの印象が悪すぎたせいもあるとも思っている。
 いちばん印象的だったのは、なんと言ってもビートルズの楽曲を日本に紹介した高嶋弘之さん。兄の高島忠夫さんが長く鬱を患っていたのと対照的。娘の高嶋ちさ子に負けず劣らず舌鋒が鋭い。ある登山家が言っていたが、お互いに罵り合っているパーティーの方が生存率が高いそうである。徒然草にも「もの言わぬは、腹ふくるるわざなり」とある。
 高嶋弘之によれば、当時は違法スレスレのこともやったらしい。おそらく言える範囲のことしか言っていないだろうが。その頃の芸能界が裏社会と繋がっていたのは今さらいうまでもない。にもかかわらず、今より人間的に信用できる感じがするのは不思議。信用できる人間だけが生き残ったからだろうと思う。
 ちなみに冒頭に出てくるフリーダ・ケリーはビートルズのファンクラブを立ち上げた人で、この人についてはドキュメンタリー映画『愛しのフリーダ』がある。



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