『J005311』

 この週末はこの『J005311』と『オオカミ狩り』『MEMORY』『デスパレート・ラン』『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』を観たが、『J005311』がいちばんオススメ。
 クレジットを見ると、河野宏紀(監督、出演、脚本、編集、整音)、野村一瑛(出演)、さのひかる(撮影)、榊祐人(録音、整音)で終わり。4人で全てを創りあげている。河野宏紀の意図を他の3人がよく理解している。シンプルな脚本だけれども、その迷いのなさが見事だと思う。
 「整音」というあまり見慣れないクレジットに2人がかかわっているけど、この映画の音の効果はすばらしい。ポストプロダクションの段階で音に相当こだわっただろうと思う。
 撮影は、逆に、カメラにカネがかけられない分、後からどうこうできないアングルにはっきりと作品の意図が乗っている。野村一瑛のアップが多いが、野村一瑛がそれによく応えている。カメラは下手するとiPhoneの方がマシなくらいな安物だと思ったが、露出の上げ下げが完璧。見せるべきものを見せて、見せたくないものは見せてない。これは画面のキレイ、きたないとは関係ない。
 つまり、4人の仕事が完璧なのだ。これはこれにあといくらカネをかけてもこれを越えられないだろうと思う。
 今週観た映画の中では、たまたま『デスパレート・ラン』が、キャストを絞った演出という意味で似ているけれども、『J005311』は、緊張感では、ナオミ・ワッツ主演のこのハリウッド映画に優っている。
 『J005311』の画面に写っている2人はどちらも26歳という設定だった。おそらくこの世代にとって日本という社会は完全に崩壊している。したがって「正しさ」について語る言葉を失っている。入管法改悪反対デモで「この国の政府は何から何を守っているのか?」と叫んでいた若者の悲痛な叫びが思い出される。
 田辺元がが指摘したように、社会と個人の成分は同じなのである。社会は個人の内面の問題でもある。言われてみればものすごく当たり前だけれど、社会が崩壊すると、個人は孤立する。
 その実例が今の日本社会なので、この映画の2人の個人が、たった2人であっても、社会を再構成しようとするのは大変な冒険になる。
 明治維新から長い時間をかけて崩壊した日本社会を生きるために、たった2人がコミュニケーションをとるのさえ、こんなにも困難なのだということが、崩壊した社会を生きる当の若者からこんなにストレートに発信されるのは、ありそうでなかったと思う。
 ぴあフィルムフェスティバルで満場一致でグランプリを受賞したそうだ。
 「J005311」というタイトルは、最近発見された新種の天体で、2つの白色矮星(恒星の残骸)が衝突してネオン光を発している天体の名前だそうだ。

j005311.com