『658km、陽子の旅』ネタバレ

『658km、陽子の旅』
『658km、陽子の旅』

 菊地凛子主演のロードムービー。第25回上海国際映画祭で、最優秀作品賞、最優秀女優賞、最優秀脚本賞を受賞した。
 監督の熊切和嘉の作品では、私は『海炭市叙景』と『ノン子36歳(家事手伝い)』を観ている。『海炭市叙景』は、佐藤泰志の映画化の最初の試みだし、『ノン子36歳(家事手伝い)』は、今となってはレアだと思うのだけれど、売れない役者時代の星野源が準主役で出ている。
 ちなみに菊地凛子と熊切和嘉は『空の穴』(2001)以来のオンボードで、当時はお互いデビュー同然で、菊地凛子もまだ菊池百合子とクレジットされていた。
 室井孝介の脚本原案は、2019年の「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM」というコンペティションで、脚本部門の審査員特別賞を獲ていたものだった。「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM」はなかなかユニークな試みで、『先生、私の隣に座っていただけませんか?』とか『この子は邪悪』とかもここから映画化された企画。しかし、この作品はそれらに比べると、テクニカルな要素よりも、内省的な内容で見せる。その分、主役の演技のウェイトは重い。その意味で、作品賞、脚本賞、そして、女優賞って三冠に説得力がある。
 コミュ障のロードムービーって意味では『J005311』に似てる。あちらは、シナリオの骨格が頑丈で、主役2人の緊張感が最後まで持続するのに対して、これは、ロードムービーの王道で、旅する主人公がさまざまな出会いを経験するのが魅力的。
 なので、わき役が豪華なのは重要。竹原ピストル風吹ジュン黒沢あすか、浜野謙太、見上愛などなど。それをやりすぎるとウエルメイドに感じられる惧れもあるわけだが、抑制しすぎると言葉足らずになるかもしれない。そこは多分難しいんだろう。ロードムービーと言ったって、『イージーライダー』、『ヴァニシング・ポイント』から『ハングオーバー!』、『転々』まであるわけで、今回のだってコミカルに行こうと思えばコミカルにも行けた。
 特に、浜野謙太との件りはすでに十分コミカルであるとさえ言える。コミカルであるためにより一層主人公の痛みが伝わるわけなのだけれど、一方で、浜野謙太の役が、東日本大震災ルポライターっていう、もしそう自己紹介されたら「・・ううん」というしかない、判断を保留せざるえない存在。
 ヒッチハイクで乗せてくれた人の中で唯一イヤな奴が、個人の価値観ではなく、社会道徳というか、世間の論理で自己弁護するタイプだっていうのが面白い。「世間的に言ってわたし間違ってませんよね」っていう人間が、映画的にいちばんウエルメイドになりかけてるシーンに出てくるのが面白い。「映画的に言ってこの部分必要ですよね。ないと締まりませんよね」みたいな。そんな具合に、この映画はメタ的に、映画の外側の世界をほのかに感じさせ続ける。
 あの部分は、浜野謙太と対照的な無口なイケメンがただ乗せて降ろしたってシーンと入れ替えても実は成立する。その後の風吹ジュンのエピソードで「女の子ひとりでヒッチハイクなんて怖くないの?」なんてセリフが逆の意味で、もっと効いてきたかもしれない。女の子という歳でもないのだが、でもまだ女として枯れてないって主人公の立ち位置がもっと際立ったかもしれない。しかしそうすると今より難解になったには違いない。
 そのシーンと主人公のコンフェッションのシーンが、作家の声がセリフと重なってる部分だと思った。先日も書いたけど、田中敦子とか白髪一雄みたいに作家の筆跡が見える絵がわたしは好きなのだけれど、ジェームズ・グレイ監督の『アルマゲドン・タイム』を観て、登場人物がその状況を生きている映画の素晴らしさを再認識したばかりなので、説明的とまで言わないが、その告白がこの人物の背景にピッタリハマるかどうかはどうかなと思った。ただ、下世話な観客としてはそこがいいんだけれども。
 菊地凛子のお芝居がその違和感を埋めて余りあるのは確かだ。いつもながら、役者さんってすごいなと思う。
 東京から青森に向かう道行なので、黒沢あすか、見上愛の前半部分から、浜野謙太のエピソードを境に、だんだん東日本大震災の記憶へと遡っていくのも映画の時間をダイナミックに動かしていく。そのシナリオ上の変化も主人公のコンフェッションを自然に感じさせる一要素になってる。多くの日本人が心に抱えているだろう悔恨とでもいうべきものを車窓の風景として映し出している。
 大震災、コロナなどの避けがたい宿命はそれとして、他に選べた選択肢もあったのではないかと思い浮かばない人はもちろん幸せなのだろう。面白いのはそれでもそういう心情が、日本人全体に通底しているように感じるだけでなく、意外にもっと広い世界で共有される心情のように思えること。また、日本映画そのものが抱いている心情のようにも思える。


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