『ソウルメイト』と『ソウルメイト 七月と安生』ふたつともネタバレ

 良心的って言葉を映画評に用いる場合それはどういう意味なんだろう。
 名作でかつ良心的な映画はありうる気がする。一方で、あまり出来の良くない映画を良心的とは言わない気がする。出来の悪い映画が良心的だろうがどうだろうが知ったことじゃない。良心的と評する限りは、その映画がいい作品であることは言うまでもなく、その上、良心的だと言っている気がする。
 いい映画に関しては、それが良心的かどうか、これもまたどうでもいいんだけれども、それでも良心的と言い添えたくなる映画たちがあるんだろう。
 『ソウルメイト』は最近の韓国映画の中で久しぶりに良心的と感じた映画だったが、ただこれは『少年の君』のデレク・ツァン監督の『ソウルメイト/七月と安生』のリメイクで、そこは割り引いて考えなければならない。ただ、『ソウルメイト/七月と安生』にも原作小説があるが、これは未邦訳らしい。
 『ソウルメイト/七月と安生』の方はAmazonプライムで観られると分かって早速観たが、ストーリー展開はほぼ同じだと分かった。
 ただ、大きな違いは、韓国版の方は2人が画家を志すところ。これをしたかった気持ちはよくわかる。そうすることで、2人のキズナがわかりやすくなるし、視覚に訴えることは映画的にも効果的。
 だが、そうしたことで、映画のプロットを貫いているあのブログ(韓国版)は誰が書いたのかわからなくなる。中国版の方では韓国版のあのブログがWEB小説になっていて、その小説自体が出版社の目にふれたことになっている。安生が七月の名をペンネームにして書いていたことがわかる。
 韓国版の方では創作物が絵とブログの2つある。画廊に注目された絵は実は、ハウン(中国版での七月)の描き残したものをミソ(中国版での安生)が完成させたものだったとわかる。ここが韓国版での最重要ポイントでこれはネタバレがイヤな人には言っちゃダメ。
 しかし、そのために韓国版ではハウンの旅が曖昧になる。中国版では七月の旅は安生の創作だろうと思われる。その旅をさせたかった安生の思いに中国版では焦点が絞られる。韓国版には絵があるので、あの絵をいつ描いたのか、それと旅の時間はと考えると、あり得なくはないがちょっと「?」ってなる。逆に中国版では七月の忘れがたみのあの女の子の行動がちょっと大人すぎる気がする。
 中国版、韓国版どちらも安生(ミソ)が、蘇家明(ジヌ)についたウソと事実の違いが最大の見せ場だが、このときのミソと安生の思いについて中国版と韓国版で微妙に解釈が違っていると思えた。中国版の方は哀惜に満ちていて韓国版の方がより前向きに思えた。
 深読みすると、これは韓国と中国の女性の立場の違いなのかなともおもえる。これをもし日本でリメイクしたらどうなるんだろうと妄想したくなる。


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ソウルメイト/七月と安生(字幕版)

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