西平畑公園の河津桜

 河津桜はたぶん南関東あたりではいちばん早く春を告げる。3月6日なのにもう満開を迎えている。例年、桜まつりで盛り上げるが、今年はコロナでひっそりやってるようだ。ただ、結局、すごい人出、いい天気で。
 私もしばらく来ていなかった。このコロナ禍の2年は桜まつりどころではなかったのかもしれない。もちろん、今年は体温を測らなければならないし、室内には入れない。でも、なんとなく今年はいいかなという感じなのかもしれない。
 技術的なことを言うと、SONYのカメラでダイナミックレンジをいじれる効果を初めて実感した。桜を撮る場合、影がつぶれないほうがよいので、ダイナミックレンジオプティマイザーを最強にした。ちょっと非現実的に見えるかもしれない。なお、一部はPLフィルターをかけている。

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西平畑公園の河津桜
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西平畑公園の河津桜
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西平畑公園の河津桜
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西平畑公園の河津桜
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西平畑公園からの富士山とハングライダー
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富士山とハングライダー
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快晴
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ガードレール
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酒匂川を望む
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松田ハーブガーデンの河津桜
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春のカーブミラー
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春昼

『牛久』

 3月18日まであつぎのえいがかんkikiで『牛久』が公開中。

www.ushikufilm.com

 日本政府が現在進行形で行なっている国家犯罪の中継映像。
 おぞましいのは、入管側が記録のために残している映像がいちばん暴力的であること。これなら公開してもいいかと入管が判断したということで、その感覚の異常さに呆れる。

 公平に見ると、ロシアと同じように、この映画に描かれている日本という国も経済制裁したほうが良いと思います。
 この映画が世界中で公開されることを切に願います。

『ダーク・ウォーターズ』

 『ダーク・ウォーターズ』は、単にアメリカ映画だけでなく、アメリカ社会の良心と勇気を身に染みて思い知らされる、「傑作」などという言葉でさえ薄っぺらに感じられる、胸に響く映画だった。

 『ダーク・ウォーターズ』は、デュポン社が40年間も隠蔽してきた廃液汚染の実態を暴いた弁護士と住民の実話である。原作は、ニューヨークタイムズの記事で、それを主演のマーク・ラファロが映画化した。
 公害を描いた実話という意味では『MINAMATA』と構造が同じと言えるが、映画から受ける緊迫感がまるで違う。『MINAMATA』は、わが国の出来事なのに、遠い出来事のように感じてしまう。「水俣はまだ終わっていない」というキャプションは出るけれども、あの映画はユージン・スミスの個人史に落とし込まれる。それがあの映画の良さでもあった。
 『ダーク・ウォーターズ』が始まる90年代は『MINAMATA』の60年代と、時間的隔たりはそんなにないのかもしれない。しかし、映画が進みどんどん現在に近づいてきて2015年となると、そのテフロンのフライパンは、まだうちにある可能性がある。
 マーク・ラファロは『フォックス・キャッチャー』、『スポットライト』と実話の映画化が続いているが、なかでも今回の作品が特に印象深かった。マーク・ラファロの演じたロブ・ビロットという弁護士の、ほとんどたった一人の闘いだったせいもあるだろう。
 奥さんのサラを演じたアン・ハサウェイがインタビューで語っているが、途中で何度も、もうここで汐時だと言える局面があるのに、ためらわずに進んでいく。というか、行くべきか止まるべきかという葛藤さえうかがわせない、このロブ・ビロットという人を聖人でもヒーローでもなくリアリティをもって演じるのは実はとてつもなく高度な演技だと思う。
 映画の発端では弁護士事務所の共同経営者に昇格したばかりだったのに、いちばんどん底の時期は給与が三分の一に減らされている。そもそもロブの所属する弁護士事務所は企業側に立つ弁護士事務所だった。なので、たまたま祖母の知り合いだった住民のひとりから訪問を受けた時にそもそも取り合わないという選択肢もあった。映画のセリフにもあるのだけれども、訪ねてきたウィルバー・テナントという牧場主を、最初は「おかしな奴」と思っただけだったと。それはもちろん観客に向けたセリフでもある。そのセリフを聞いたとき、そうだったと気付かされる。
 もちろん、ウィルバー・テナントをはじめ、被害を被った住民たちの映画でもある。現在進行形の事件なので、実際の住民も何人か出演している。胸を打たれる。この映画に描かれていることだけでも厳しい現実なのに、人々にとっては、それもごく一部にすぎないと思い知らされる。
 住民、弁護士、そしてこの映画に関わった人たち、どれもアメリカの良心と勇気を体現している。アメリカを語るとき、日本では批判的に語られることが多いのだけれども、振り返って日本でこんな映画が実現できるかどうか。『新聞記者』の主演女優さえ韓国人に丸投げした日本映画は未熟というしかない。
 ロブ・ビロットのような個人がもし日本にいたとして、それを日本社会は受け入れられるだろうか。たとえば、オリンパス事件のときマイケル・ウッドフォードさんに日本社会はどんな態度を取ったか?。
 森友事件の赤木俊夫さんはなぜ自殺するより道がなかったのかを考えると、日本社会の今の在り方には気持ちが暗くなる。
 監督トッド・ヘインズ、撮影監督エドワード・ラックマンは『キャロル』の時と同じコンビ。このカメラも作品に品格を与えていた。


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アーティゾン美術館 はじまりから、いま。1952-2022

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アーティゾン美術館 はじまりから、いま。1952-2022

 アーティゾン美術館にいってきました。

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《腕を組んですわるサルタンバンク》パブロ・ピカソ

 ピカソはその頃付き合っていた女性で画風が変わったとか言われる。しかし、逆に画風の変化に伴って、女の趣味が変わったとも言えるのかもしれない。
 この新古典主義の時代は、第一次世界大戦によるヨーロッパ文明の危機という意識が、ピカソだけでなく、ヨーロッパを覆っていたんだろうなと、この明るさが逆にやるせない。

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藤島武二《東洋振り》1924

 アーティゾン美術館の展覧会は、原則的にすべての作品が舘所蔵品なので、撮影が許可されている。今回の展覧会のキービジュアルは藤島武二の二点が選ばれている。
 藤田嗣治の文章に、ある人に藤島武二の絵を買うべきかどうか相談されたが、あんな絵は将来、価値がなくなるから(もっときつい言い方だったかも)やめたほうがいいと言ったと書いてあった。藤田らしい歯に衣着せぬ表現だなと思っただけだったが、先日、山田五郎さんのYouTubeで、黒田清輝の《湖畔》を取り上げる中に、黒田清輝には「洋画における明治維新」という一面があったと指摘していて、なるほどそうかと。検索してみたら藤田嗣治は、田中藩という譜代大名の家柄だった。藤田嗣治に対する日本の画壇の冷遇には、藩閥政治の一面があったわけだった。藤田嗣治は他にも、「フランスに渡ってみたら、黒田清輝みたいな絵を描いている人はもう一人もいない」みたいなことも書いていた。

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黒田清輝《針仕事》1890


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 アーティゾン美術館といえば、青木繁のこの絵も有名。

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青木繁《海の幸》

 画家仲間との旅の途中、海辺の宿に泊まった朝、散歩に出かけた坂本繁二郎が語った漁師たちの水揚げの光景をもとにこの絵を構想したそうだ。多分、実際に見なかったからこそ描けたのだろう。 
 これをモチーフにした森村泰昌の連作のうち三点が展示されていた。

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森村泰昌《M式「海の幸」第一番:假象の創造》2021
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森村泰昌《M式「海の幸」第5番:復活の日1》

 今回は抽象画も多く、猪熊弦一郎のこれ。

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猪熊弦一郎《スカイ・トライアングル》1968

 田中敦子のこれ。

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田中敦子《1985 B》

 白髪一雄のこれ。

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白髪一雄《白い扇》1965

 村上三郎

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村上三郎《作品》

 元永定正

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元永定正《無題》1965

 こうして並べると、作家の個性がわかる。特に、田中敦子と白髪一雄は。

 そして、これ↓なんだけど、

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リー・クラズナー《ムーン・タイド》1961

 ジャクソン・ポロックのインディアンレッドに似ているけれども、ポロックの方が明らかにいい。ポロックの方が断然に無作為。

 ジョアン・ミロも2点あった。

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ジョアン・ミロ《絵画》1952

 ジョアン・ミロは、今、渋谷のBunkamuraミュージアムで個展が開催中。最後の方に展示されていたニワトリみたいな絵が素晴らしかった。

Siriにkindleを読ませる

 「設定」→「アクセシビリティ」→「読み上げコンテンツ」→「読み上げコントローラ」をオンにして「コントローラを表示」してkindleを読ませている。

 そうすると、イヤホンでkindleが聞ける。

 が、Siriが日本語が下手で、「公正」を「きみまさ」と読む。

 一応、「読み上げコンテンツ」の「読みかた」というところで、読み方を登録できる。が、たとえば、「一応」を「いちおう」と登録したとすると「一つの」を「いちつの」と読む。「統一」「一緒」「西一(人名)」などすべて「一」の訓が違うが、それを登録しても、どういうわけか全部「いち」で通すみたい。

 それで、その辺は諦めて、優しさで聞いている。

 あまりにもひどい時は、ポケットから取り出して確認しなければならない。「繋がり」なんかは、とうとう漢字の部分をとばして「がり」と読んだ。 

 それでも液晶に目を晒すことなく読書できるのは魅力。

 kindleオーディブルはコンテンツが限られる。声優が読んでるんじゃカセットテープと変わらない。

 日本語読み上げアプリって、便利なのないかしらん。

 

『発酵する民』

 この手のドキュメンタリー映画だと、途中で席を立つ人がいる。しかし、映画の冒頭の献辞に「発酵とは、微生物による分解現象のうち、特に人間に役立つものを言う。そうでないものを腐敗という。」とあった。つまり、映画は十分に自覚的に仕掛けてきている。それでも途中退席などする観客はまさしく「民」に違いなかった。『大怪獣のあとしまつ』を酷評したり、『風立ちぬ』を罵倒したり(もう憶えてないかな)する、謎の観客なのである。
 『発酵する民』は、鎌倉で、「イマジン盆踊り部」って言う活動をしている人たちのドキュメンタリー。盆踊りっていうのは、「チコちゃん」でもやったので有名かとも思うが、仏説盂蘭盆経というお経に根拠があることになっている。「盂蘭盆」という言葉自体は、サンスクリットで「逆さ吊り」ということだそうだ。釈迦の十大弟子のうちに目連尊者という人がいる。この人は千里眼があったと言われている。遠くのことが見える。ある日、この人の千里眼に、地獄で逆さ吊りにされている亡母の姿が映った。そこで人々に供養して亡母を地獄の苦しみから救い出した。それを喜んで踊ったのが盆踊りの始まりとされている。
 しかし、今では「仏説盂蘭盆経」は偽経とされている。内容が全然仏教的じゃない。仏教では、息子が母をどうこうといった血縁的な発想がそもそもない。
 死者を弔うのでもなく、盆の場合は、死者を労うというのか、もてなすというのか、不思議なといえば、不思議な風習だが、こうした死者と交流する風習はたとえばハロウィンなどもそうで、あのジャック・オ・ランタンというカボチャのランタンは、よくわからんながら、死者との交流の風習であることは間違いない。
 メキシコにも「死者の日」というのがある。ハロウィンはアイルランド発祥だが、地球の裏側でほとんど同じ日にちに同じようなことをしているのが面白い。どちらもキリスト教以前の風習であり、盆踊りも同じくどこからきたのかよくわからない。発酵なのか腐敗なのかわからない。
 2016年に『listen』という映画があった。聾者の音楽をテーマにしたまったく無音の映画だった。健聴者にとって、手話はまるでダンスに見える。個人のパフォーマンスはただただダンスに見えていたのだが、聾者たちが集団で踊っているリズムがまるで盆踊りに見えた。比較してみなければわからないが、民族特有のリズムがあるのかもしれない。
 この映画は映像の美しさも目を引いた。映像詩とも言える拘り方をしている。反原発デモを上空から捉えた映像は、発酵する民というタイトルはここから発想したのではないか。まさに酒樽の中で米が発酵しているかに見える。
 原発について言っておくと、「原発は安全だ」と言っていたにもかかわらず、原発事故が起きた。事実として原発は安全ではなかった。事故が生じたメカニズムと同時に、その事故を含めてウソが生じたメカニズムも明らかにしなければならないはずだ。言い方を変えれば、原発事故は単に事故であるだけでなく事件なのである。
 現に事故が起きたにもかかわらず、原発が安全か否かを議論するのは馬鹿げている。目で見たことを忘れさせることができると為政者が信じているなら、馬鹿にされたものだというしかない。
 そういう為政者に対して民はどう対抗するのか。この映画は民は発酵するといいたいのだ。あるいは、為政者にとってみれば腐敗かもしれない。あるいは誰かにとっても腐敗であり発酵であるかもしれない。しかしそれが確実に進む。今はそれが何になるのかわからなくても、そうした発酵が着実に進んでいると信じさせる映像の力だった。


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