『ペンギンの憂鬱』 アンドレイ・クルコフ

時雨は冬の季語。ウイークデイはひどく天気がよかったこの一週間だったが、週末は荒れた。テレビを見ていると、全国的には、時雨どころでなく、台風なみだったようだ。しかしまあ、私の在所近辺の空模様をいえば、これは時雨というものではなかったろうか?このところ如実に感じる運動不足解消のために、せめてパン屋までなりとも歩きたかったのだけれど、晴れるかな、と思えば降り、ざっと降った後すぐに雲の切れ間に空が覗く。そんな天気で、そうなると歩きたくなくなる。別に歩いて楽しいという町ではない。京都や奈良ではないし。

やんやさんのつぶやきを読んでいると、信州ではもう雪が降っているそうで、そうなると、シーズン終了直前の駆け込みツーリングにも出たいし、車のタイヤも替えなきゃ、なのだが、お天気のせいにして、今日は閉じこもって読書。と、こう書いている窓の外では、とうとう、固い音が混じりだした。あられでも降り始めているらしい。

ウクライナのロシア語作家、アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

ラジオで書評を聞いて、面白そうだったので、買ってみた。全体を貫いている、無力感、不安、寂寥感を軽いユーモアが救っている。つまり、ペンギンであり、ペンギンの存在が、作品世界全体を視覚化している。あとがきに、取材に訪れた欧州の記者が、「飼っているペンギンと一緒の写真をぜひ!」と言って聞かなかったというエピソードが紹介されている。作家は、ペンギンを飼ったことなどないそうだが、それほどこのペンギンが、欧州の読者の心をとらえてしまったのだろう。
と言うことは、どういう事なんだろう。ソビエト崩壊後のウクライナという特殊であるべき状況を、案外、世界は共有しているんだろうか?
ところで、経営のたちいかなくなった動物園が、ペンギンを放出する設定には、けっこうリアリティーがあって、ロシアの経済が、もうほんとにどうしようもなかった頃、来日したボリショイサーカスのライオンが逃げたことがあった。しかも、よくよく調べてみると、公演が終わったはずの団員のほとんども、動物たちとともに日本に残っていた。つまり帰りの船には、動物の檻なんて載せている場合じゃなかったわけである。ライオンも、有り体に言えば、逃げたのか、逃がしたのか分からない。「困るじゃないか」と叱られて「キャッチ&リリースです」と答えた、というのは、今の思いつき。
ロシアの人は、アネクドートという一口話を好んでするらしい。退屈な船旅で、ヴィクターさんたちが何かしきりに話していたのを思い出す。