ロボット願望

knockeye2005-03-08

バッテリーが充電して帰ってきた。「キャブのガスを抜くちょっとの手間を省くから、バッテリーが上がっちゃうのよ」といわれてしまった。とにかく、本格的シーズンに備えてバイクも身体もリハビリしなければならない。まだバイクの冬眠という発想になれない。関西に住んでいる頃は、冬場のツーリングが一番好きだった。どこに行っても人がいないし、テントに熱はこもらないし、雨に降られると辛いけど、関西の冬は滅多に雨も降らない。サミーさんにも言ったけど、冬場のツーリングは細胞を活性化する効果を持っていると思う。北陸に住んでいるとそれが出来なくて非常に寂しい。

赤瀬川原平の『中古カメラの愉しみ〜金属人類学入門〜』を読んだ。
中古カメラの愉しみ―金属人類学入門 (知恵の森文庫)
彼が、「中古カメラウイルス」に感染し快癒するまでの、いわば闘病の記録である。カメラ関係の本でいうと、本当は木村伊兵衛の『僕とライカ』が読みかけなのだが、風邪で二週間も間があいてしまったので、なんか気分が変わってしまった。ちょっと自分の写真体験を考え直してみようと思って、本屋の写真関係のコーナーで目にとまったのは、木村伊兵衛竹内敏信赤瀬川原平の三者だった。
竹内敏信は風景写真の第一人者だが、どっちに転んでも、これは自分とは違う。赤瀬川原平のその時目についた本は『鵜の目鷹の目』だったけど、確か以前『アサヒカメラ』に連載されていたものだと思う。面白いには違いないけど、赤瀬川原平はそもそも写真家というわけではないので、こちらの意図とずれる。というわけで、木村伊兵衛を買った。が、風邪で中断したせいもあるが、結局、面白さに負けて赤瀬川原平を読んでしまった。
あるとき、ユング派の心理学者、秋山さと子氏と対談することになった赤瀬川氏は、「心臓ノイローゼ」の体験を話した。これは内臓不安の一種で、彼の場合はある日寝ている時に、急に自分の心臓が怖くなった。心臓のどきどきを聞いているうちに、「あれ?これどうして停まらないんだろう?」とか考え出して、怖くて眠れなくなったそうだ。こういう内臓不安は男性に多いらしい。女性は内臓不安を赤ん坊とともに排出できる。男性は不確かな内臓の代償として、金属製で、精密で、システマチックな機械に憧れる。これを学問の世界でロボット願望というそうだ。「だから、男の人は、バイクとか、カメラとか、時計が好きでしょう?」と言われてドキッとしたそうである。
これを読んで思い出したけど、以前このブログで「銀河鉄道999の鉄郎が『キカイのカラダがほしい』というのは、『バイブレーターになりたい』というのと同じ意味だ。巨根願望の代用がバイブレーターなのではなく、キカイのカラダの代用が巨根願望なんである。」的なことを書いた。私の場合、バイクとカメラは、間違いなくこのロボット願望だ。バイクは、キカイの足腰で、カメラはキカイの海馬だろうか?
なぜ自分はカメラやバイクが好きなんだろう?という疑問を抱いたら、この本を読んでみるといいと思う。特に私同様下手の横好きのくせに「プロみたいな写真はちょっと・・・」とか傲岸不遜なことを言っている人には向いている。たとえば、次のような一節がある。
「自分はもともと写真よりカメラが好きでこういうところに来ているんだけど、最近はそのカメラで撮ることの方が楽しくなってきた。」
あるいは、ライカ35ミリ用単独ファインダーについて
「・・・あまりにもファインダー像がいきいきしているので、ファインダーを覗くことが目的化してしまい、写真を撮ることが『お留守』になってしまうことがある。・・・」
単独ファインダーというのは、カメラに内蔵しているファインダーのことではない。交換レンズ用に後付けするファインダーのことである。その見え味がきれい過ぎて、写真を撮るのを忘れるといっている。それもその筈で、もともと写真よりカメラが好きで、最近は「それで写真撮るのもいいなぁ」とか言っているのだ。ロボット願望恐るべし。