ブログの世の中

knockeye2005-09-23

はてなのアンケートに「はてなダイアリーを始めてから、HPがこれだけになってしまいましたか?」というのがあったが、私の場合はそうはなっていない。はてなダイアリーはブログとしてては、不完全なところがあって、トラックバックに関して不満があるし、それに画像の容量が決定的に少ない。それで、リンク先のみなさんとのコミュニケーションには、フォトBBSを使っている。はてなダイアリーはブログとしては変わりだねだと思う。
だが、はてなには、我が道を行く独特な魅力がある。日記に書いた言葉が勝手にリンクされるので、思わぬ情報が飛び込んできたりする。きのうも『ロスト イン トランスレーション』という映画に、はっぴいえんどの「風をあつめて」が使われていることを知った。
ブログの流行る世の中らしい。選挙前には自民党がブログ開設者を集めて政策説明会を開いたり。2ちゃんねるのような掲示板からブログへと、ネットの文化が変化し始めているのだろう。去年の高遠菜穂子さんをめぐる事件は、滅び行く掲示板文化の末期症状だったのだろう。高遠さんのHPは今で言えばブログじゃないか。
名無しのままで、スレッドにぶら下がってるに過ぎない彼らに、倫理観や論理性が生まれるはずがない。コンテキストのない罵詈雑言が彼らの常套句であっても不思議ではない。
阿部謹也の『世間とは何か』を読んで以来、「日本に個人がない」ということについて思いをめぐらせていて、そういえば、いろいろ思い当たるフシがある。
たとえば、去年ここでも紹介したが、ブラジルでシュタイナー教育に携わっていた小貫大輔さんが日本に帰国した際、娘さんが日本の学校になじめず、有り体に言えばいじめに遭い、ブラジルに帰っていく。その時の彼女の言葉、
「日本人は誰も自分らしくしていない。自分らしくしていなくては、友達は出来ない。」
は、日本に個人が存在していないことを感覚的に語っているととれる。
ところで、三連休の初日に、これが書けるのはなぜか?腰痛の具合が芳しくないので、出かけないことにしたためだ。ロシア以来、出ていなかったのだけれど、会津から帰った後のケアがよくなかった。