『HAFU』

ハーフ

ハーフ

  • 発売日: 2019/12/11
  • メディア: Prime Video

 Amazon primeで『HAFU』っていうドキュメンタリーを観た。日本で暮らすハーフの人たちを取材したもの。
 「ハーフ」って言葉はもともと「ハーフ・ブリード」っていう家畜用の言葉だからよくないという人もいれば、特になんとも思わない、むしろかっこいいという人もいた。一時期「ダブル」っていう言葉が代用されかけたのを憶えているが、定着してないみたい。
 そんな中で「ミックス・ルーツ」っていう、日本で暮らすハーフの人たちに交流する場を提供する運動があるそうだ。見ていてちょっと羨ましかった。
 ベネズエラと日本のハーフの人の言葉を聞いて気づかされたが、日本の場合、日本人自身の地域コミュニティが事実上なくなってしまっている。そして、個人のアイデンティティが直接に国家に結びついてしまっている。明治政府の中央集権化と高度経済成長の人口流動化の結果なんだろうけれども、国家にしかアイデンティティがない人は排外的にならざるえないのかもしれない。
 日本文化というけれど、それは、実際には、京都の、江戸の、大阪の、あるいはその他の地方都市のコミュニティが育んだ文化なので、それを日本文化といっても間違いではないが、それを育んだコミュニティを破壊して、文化だけ保存しようとしてもグロテスクなんだと思う。
 そうして母体から切り離された「日本文化」はたいてい排外主義の盾に利用されるだけみたい。たぶん生活に密着したコミュニティはもっと柔軟だし、柔軟であるべきだと思う。そうでなければ息苦しいし、息苦しいところから文化が生まれるとは思えない。
 ガーナと日本のハーフで日本で育った人と、オーストラリアと日本のハーフでオーストラリアで育った人が対照的に描かれていて面白かった。ガーナの彼は、ずっと日本がきらいだったけど、いったんガーナに行って日本に戻ってくる飛行機の中で、自分は日本人だと発見した。
 オーストラリアの彼女も、自分のルーツを確認したくてしばらく日本に暮らしてみて、結局、自分がオーストラリア人だと気づく。そして、一年の滞在を通して、自分が日本の一部だというより、日本が自分の一部になった気がすると語っていたのが印象的だった。
 国家の一部である人間なんていない。でも、うっかりそう思ってしまう。日本みたいに単一民族国家っていう神話が強固だと、よりいっそう、そういう概念に囚われがち。国家の一部である人間なんていない。個人の一部に国家があるだけ。私を例にとれば、私が私とは何かを考えたとき、日本も私の一部であると言えるだけ。当然すぎる。
 性別に置き換えてみるともっとよくわかる。私は男性だけれど、私は男性の一部じゃないじゃん。じゃなくて、男性は私の様々な属性のひとつにすぎない。
 black lives matterで、システミックな差別が問題視されているけれども、差別感情、先入観のない人間はめずらしい。そんな先入観は、あるあるネタとして笑ってもいい。
 じゃなくて、システミック・レイシズム、構造的な差別の典型は、black lives matterの運動が始まった頃ニュースになった白人女性で、彼女はリードをつけて犬を散歩させなければならないエリアで犬を放していて、それを注意された黒人男性を、警察にウソの通報をして逮捕させようとした。
 スマホに一部始終が記録されていなければ、その行動は、日本人には想像も及ばない。なぜなら、日本には、そういう差別のシステムが存在しないから。日本にもいろんな差別があるが、気に入らないからといって警察に電話をするなんて、そんな発想すら思い浮かばない。
 しかし、アメリカの白人は、警察に電話一本かければ、システミックな差別が発動すると知っている。差別のためのシステムが存在していると知っているのに、それを放置している。
 長くなったが、何が言いたいかといえば、日本の場合、これと同じことが学校で起こっている。メキシコのハーフの男の子が、小学校でいじめられて吃音になってしまう。しかも、そういういじめを教師が助長している。
 何か既視感があるなと思いかえしてみれば、シュタイナー教育小貫大輔さんの娘さん、ブラジルと日本のハーフなんだが、日本の学校でいじめられて、ブラジルに帰っていく。ほぼ、全く同じ構造。つまり、日本の学校のいじめはシステミックなのだ。

ブラジルから来た娘タイナ 十五歳の自分探し

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 アメリカのように殺されはしないが、人格形成の現場で、システミック・レイシズムを植え付けられるのは、見過ごして良い問題とも思えない。子供の世界はたしかに残酷なものだが、それに教師が加担しているのがシステミックなのだ。学力の低下なんかよりこっちの方がはるかに問題だろうと思う。
 N高とか、学校に行かないという選択肢も、今だんだん市民権を得つつある。さっき言及したシュタイナー教育なんて選択肢もある。俳優の斎藤工シュタイナー教育出身だそうですね。

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