『スワンソング』ネタバレあり

 映画『スワンソング』は監督のトッド・スティーブンスにとって、自伝的な「オハイオ三部作」の掉尾を飾る作品だそうである。聞きなれないサンダスキーという町は実在するし、主人公のパット・ピッツェンバーガーというゲイの老美容師も実在した。
 ところが、下にリンクした日本版と英語の予告編の違いを見てほしい。日本の予告編からはクィアの要素が抜き取られている。
 この映画は、エイズが蔓延して、ゲイの人たちが烈しい差別に晒された時代、偏見と戦ってきたひとりの老いたゲイの最後の戦いを描いている。それこそまさに「白鳥の歌」なのに、その部分を予告編から抜き去るとは。
 日本という国はかなりまずいんじゃないかと思う。パットが全盛期を過ごした町サンダスキーに帰還して、子連れのゲイのカップルを眺めるシーンがある。「自分の時代にはありえない」と言うパットに「彼らはきっとあなたに感謝するはず」と旧友が答える。
 ゲイコミュニティはだんだん失われていると、監督インタビューにあった。それはつまりゲイが今では特別ではなくなり、プレーンなコミュニティに溶け込んでいるからだろう。
 しかし、そうなるには偏見との戦いがあった。そのことを小さな町を舞台に、引退したヘアドレッサーの最後の仕事をロードムービーに仕立てて際立たせる監督の手腕は素晴らしい。主演のウド・キアものっている。
 例えば、今、イランで女性たちが声を上げている。フランスの女優たちが髪を切ってエールを送っている。そういうことの積み重ねが差別をなくしてゆく。
 ところが、日本の有名芸能人は(別にぼやかすつもりはない、太田光のことだが)、LGBTの権利を制限しようとする統一教会を盛んに擁護している。太田光は日本ではわりと政治にコミットするコメディアンだと目されてきたはずだった。それが所詮この程度だったには、笑うに笑えない。この内外の差は何事なんだろう。
 以前から、日本の笑芸が政治にコミットしないことを批判する風潮があった。しかし、笑芸は社会が関心のないことをテーマにできない。社会が政治的な問題をオミットしているからこそ笑芸が政治を取り上げない。責任は社会のほうにあるし、その責任を笑芸人に負わせようとする文化人こそレベルが低い。
 以前、『日本は「右傾化」したのか』を紹介したが、「右傾化はしていないが、差別主義化してきている」という笑えない結論だった。
 ずっと言ってきているが、日本の難民受け入れ政策は差別そのものである。この事態に目を瞑ってやり過ごそうとしている、そのこと自体が差別なのである。難民をなぶり殺しておいて「美しい国」とか寝言を言ってた政治家をなぜ国葬なんかしなきゃならないのか。
 国家が国連から非難されるほどの差別的政策をとっている。それを大多数の国民が、知らんぷりをしている。この状況の結末は知ってるはずだ。国際社会と共存するつもりのない国家が衰退していくのはあたりまえだ。
 ホロコーストか行われた時、ドイツやポーランドやヨーロッパの多くの国民は「私たちは何も知らない」と思ってたはずなのである。入管問題に対する日本人の冷淡さを見ると1930年代、ナチの時代のヨーロッパってこうだったんだろうなと思う。ていうか、思わない人いる?。
 
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