『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』

 いい映画が泣けるとは限らない。最近、いいけど泣けないのが続いたけど、これは『コット、はじまりの夏』以来。だいぶ質は違う涙だけれども。
 リトル・リチャードをはじめ、ビートルズ以前のミュージシャンは全員ひとつのフォルダーに入ってる。意識してというより無意識にそうなってる。
 この映画の公式サイトにコメントを寄せている近田春夫が「これを観るまでリトル・リチャードがどのような人間なのかほとんど理解していなかった。」と書いている。博覧強記の近田春夫さえそうなのだから、私が今さら新鮮なショックを覚えたとてあまりに失礼ってわけでもなさそう。
 リトル・リチャードがデビュー当時からゲイを公表していた(というか、隠す意識すらなかったって方が正しいのかも)ことさえ知らなかった。
 彼の古い写真に見える薄化粧の感じは、ジェームズ・ブラウンの髪型みたいに、当時の風潮として当然だったと思うが、ちょい白人のルックスに寄せるって意味かと思っていた。ちょい白塗りなのかと。しかし事実はそのむしろ逆で、あれはクイアな表現だったのである。何なら独特なヒゲも含めてドラァグクイーンに近かったのだ。それを知って見ると、あの写真が突然新しさで輝き始める。映画の中での彼も「俺は美しい」と言う。が、それは「ブラック・イズ・ビューティフル」って意味さえ超えてたのだ。 
 彼の「tutti-frutti」をパット・ブーンが歌うことを「文化の盗用」と言ったりする。が、黒人社会にそれをいう権利はそもそもなかったことになる。リトル・リチャードの原詩はアナルセックスを歌っていたのだ。
 しかもさらに驚く。1957年、人気の絶頂期に突然引退して信仰の道に入った。女性と結婚し、子供も授かって模範的な家庭人として暮らしていた。
 だがその5年後に突然復帰。イギリスでカムバック公演を打った。その聴衆の1人だったブライアン・エプスタインがプロモーターのドン・アーデンに頼んでビートルズが前座を務め始めたのが1962年の10月だったそうだ。そのあと数ヶ月、ビートルズはリトル・リチャードのライブに帯同した。
 1962年の10月といえばビートルズが「Love me do」でデビューしたその月だ。個人的な長年の疑問はビートルズの楽曲の中で「Love me do」だけ何であんなに冴えないの?ってことだった。実際、その後の大旋風の煽りを受けて「Love me do」も全米1位を獲得するけれど、リリース当初は全英でも17位。カナダでは170枚しか売れなかった。日本でも、高嶋弘之は日本に送られてきた「Love me do」を聴くや否や「ダメだこりゃ」と思ったそうだ。ビートルズが爆発的に売れ始めたのは4枚目の「She loves you」かららしい。
 ってなると、ひとつの仮説として、ビートルズビートルズたらしめたのはリトル・リチャードのイギリス公演だったと言えそう。wikiにも「During this time, Richard advised the group on how to perform his songs and taught Paul McCartney his distinctive vocalizations.」とあるが、以下の両者の演奏を聴き比べればその影響は明らかだ。ポール・マッカートニーはそもそも「リチャードの・・・」と言ってるしね。


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 ついでに言うとこのイギリス公演には5人目のビートルズと言われるビリー・プレストンもいた。
 リトル・リチャードは続いて1963年にはローリングストーンズのツアーにもゲストとして帯同。イギリスでロックンローラーとして完全復活した。
 この時のリトル・リチャードのイギリス公演がなければ大げさではなく歴史が変わっていた。私たちが今聴いているポップミュージックの源泉はまさにここにあった。と、今更知ってびっくりしている。
 にもかかわらず、ビートルズローリングストーンズもリトル・リチャードへの敬意を一度も隠していないにも関わらず、どういうわけか彼の業績は顕彰されてこなかった。無意識に差別を容認しているのかもしれないし、そもそも他人の評価なんてそんなものなのかもしれなかった。
 しかし、最も興味深いのは、この人が生涯、宗教と世俗の間で引き裂かれ続けていたことだ。全英公演も初日はゴスペルをやってブーイングだったそうなのだ。
 ゲイであることの悩みにもいろいろあると思う。心と体の分裂であったり、社会の偏見であったり。しかし、彼は最初からゲイを自認していたし、社会の偏見なんてお構いなしだった。
 ただ、彼はゲイであることが宗教的に正しいかどうかで悩んだのである。彼の行動を見るかぎり、結局、彼自身は男として女と結婚生活を送ることを良しとしたようだ。
 この結論はゲイコミュニティを落胆させてはいるが、1950年代にゲイを公言した彼の功績に比べればそれは批判されるほどのことと思われていないようだ。
 もし、人智を超える神がいて、その神が女と結婚しろと言うならそうするしかない。その結論は実に正しい。盗みたくても神が盗むなというなら盗まないだろうし、神が殺すなと言うなら殺さないだろう。であれば、神が男と女で結婚しろと言うならそうするしかない。
 もしキリスト教という宗教を受け入れるならそうするしかない。ゲイを公言したのと同じくらい勇気ある選択と言えるだろう。
 ただまあ、植木等のいうとおり「わかっちゃいるけどやめられない」のだし、神に言われるならともかく、人にとやかく言われても知ったこっちゃないって強さをこの人は持っていると思う。

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