成功のイメージ

手抜き工事という日常茶飯事も、強度偽装と言い換えると新しく聞こえる。その中心人物の一人が白いリムジンに乗って帰郷した時のことを、同窓生がインタビューで話していた。その成功の演出のしかたがあまりに凡庸で寒々しい。
人は自分が描いた成功のイメージを越えられないのだとすると、どれくらいの高さにそれを描いているかが、その人の品格だと言えるのかも知れない。
まんが日本昔話で印象に残っているのがひとつ。和尚さんが行脚の旅に出る間、お寺の留守を頼まれた力自慢の夫婦がいた。どれくらい力自慢かというと、盗賊の刀も素手で飴のように曲げてしまうし、金のご本尊も指でつまんで持ち上げてしまう。そうやって盗賊を追い返した話を帰ってきた和尚さんにすると、
「それでは私を持ち上げてみなさい」
ところがこれが持ち上がらない。二人そろって顔を真っ赤にして力んでも持ち上がらない。そして和尚さんはまた行脚の旅に出ましたとさ。人はイメージする以上の力は出せない。
我が身を振り返って何らかの成功のイメージを持っているかといわれると、これがないんだよね。夢がないとよく言われるけれど、そういうものは、ひっくるめて妄執だろうと多寡をくくっている。だが、そういう妄執が無駄なのか?と突っ込まれると簡単には答えられない。