小田原ちょうちん祭り

knockeye2007-07-29

阪神大震災の後、オウムがサリン事件を起こした時に、場所が地下鉄じゃなくて霞ヶ関で、役人たちがみんな死んだら、胸がスカッとするだろうと思った。今でもそう思う。
しかしながら、もしそうなっていたとしても、何か変わったか。何も変わらなかったろう。
若いときは暴力で何かが変えられると思いがちだが、間違っている。
『夕凪の街 桜の国』を観たあとということもあり、とりあえず選挙に行くことにした。われながら非常に単純である。選挙に何か意味があると思うわけではない。しかし、選挙くらいしといてやると思ったわけ。「民主主義の表明」である。
C・J・クレッグによると選挙は「民主主義の表明」だそうだ。ホワイトハウスの報道官にしても、まぁ、それ以上の意味は認められないということか。それでも木村太郎みたいに「公民の義務」などと言われるよりよほどましだ。はっきり「権利」だろう。なんでたかがニュースキャスターが「権利」を「義務」と言い換える権限があるのか。まったく意味が分からない。あからさまにプロパガンダだろう。もちろん、テレビの報道がそれ以外のことをやっているとも思いもしないが。
民主主義の表明をした後で、久しぶりにバイクに乗って小田原に向かった。バイク屋に電話して「まだ300kmくらいしか乗ってない」といったら鼻で笑われたせいもあるし、小田原ちょうちん祭りにはどうせ行くつもりだったし。ただこれも「小田急で行けばいいんじゃないの?」というのが理性の声である。
小田原厚木道路の途中でものすごい雷雨に遭ってしまった。たまたま陸橋の下にはいれたので、そこで雨具を身に着けたが、中止になるんじゃないかと思ったほどだが、小田原東でおりて市街に入るとちょうど神輿が練り歩いているのにぶつかった。
警備している警官に
「バイクはどこに停めたらいいですか」ときくと、
「ま、祭りだからジャマにならないところに」と、なかなか話せる警官であった。
S5ISの筆下ろしだが、いきなり夜間撮影はちょっとつらかった。感度をあげるとやはりざらつく。それはしょうがない。まだ操作に慣れていないので、暗い中では戸惑った。まぁ、そんな程度のことである。でも、単三電池四つにしてはえらく持ちがいい気がした。